スタンカさん死去、外国人初100勝達成の60年代南海エース

スポーツ報知
豪快な投球でMVPも獲得したスタンカさん

 1960年代に南海(現ソフトバンク)のエースとして活躍したジョー・スタンカさんが15日、心不全のため、米テキサス州の自宅で死去したことが19日、分かった。87歳だった。

 スタンカさんは家庭の都合でオクラホマ大を中退後、鉄道勤務をしながらセミプロからはい上がって1959年、Wソックスに昇格。2試合で1勝に終わったが、60年に南海入りすると、196センチの巨漢から投げ込む速球とスライダー、シンカーを武器に、1年目から17勝。61年はリーグ優勝に貢献し、巨人との日本シリーズ第1戦で3安打に抑え外国人投手初の完封勝ちを収めた。

 9回にリリーフした第4戦では、2死満塁で宮本敏雄に対し1ボール2ストライクからの外角球を「ボール」と判定され、抗議も実らず、次の球を痛打されてサヨナラ負け。本塁ベースカバーに入ると見せかけて球審の円城寺満に体当たりを食らわせた。当時、一般の人が詠んだ句「円城寺 あれがボールか 秋の空」が世間に広まった。

 64年には外国人初のMVPを獲得。日本シリーズでも阪神相手にシリーズ史上初の2日連続を含む3完封でMVPとなり、南海に2度目の日本一をもたらした。当時の鶴岡監督は「おまえは青い目をした日本人や」と絶賛した。

 65年もリーグ連覇に貢献したが、同年11月に15歳の長男がガス中毒死したこともあり、南海を退団。夫人の勧めで翌66年に大洋(現DeNA)に移籍、外国人初の通算100勝達成も、この年限りで帰国した。

 ◆王会長「闘志凄い」

 ソフトバンク・王会長がスタンカさんとの思い出を明かした。自身の現役時代に日本シリーズでも対戦。印象深いのはやはり、61年のシリーズ第4戦での体当たりだという。「審判にバーンとね。外見はおとなしそうな人なんだけど内に秘めた闘志はすごくて負けず嫌いだったんだろうね。南海のエースとしていい成績を残した選手」と故人をしのんだ。

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