立浪和義氏、173センチ小さな体を支えた繊細さ…09年中日担当記者が見た

スポーツ報知
立浪和義氏(左、2003年の通算2000安打達成時)

 平成最後の野球殿堂入りが15日、東京・文京区の野球殿堂博物館で発表された。エキスパート表彰では、中日入団から2年連続30勝以上を挙げ、98年に監督として横浜を38年ぶりの日本一に導いた権藤博氏(80)が選ばれた。プレーヤー表彰では、中日の中心打者として通算2480安打を放った立浪和義氏(49)が選出された。また、第5代高野連会長としてプロアマ関係の改善に尽力した脇村春夫氏(87)が特別表彰で殿堂入りを果たした。

 立浪氏の引退会見は強く印象に残っている。

 「今までしゃべることを嫌がっていた。それだけ自分はグラウンドに来たら野球に集中して頑張りたい、と。嫌な思いをさせた記者の方には謝らせていただきたい」

 いきなり問わず語りで始まった謝罪の一幕。個人的には、無視された覚えも邪険に扱われた記憶もないが、PL学園主将、「ミスター・ドラゴンズ」と王道を突き進んできた男の苦悩を垣間見た気がした。

 公私に繊細な一面は間違いなく、野球に生かされていた。打撃コーチ兼任となった現役終盤、ナゴヤDのロッカーに1枚の紙を貼り出した。「始動を早く」「体を開くな」。箇条書きした打撃のアドバイスは40項目にも及んだ。後輩たちは内容だけでなく、あまりの達筆ぶりにため息を漏らしていた。

 バットに「氣」の文字を刻印するなど、強い心で173センチ、70キロの小さな体を奮い立たせてきた。昭和の野球人特有の豪快さもあったが、きめ細かなこだわりが何よりの武器だったと思う。(08・09年中日担当・表 洋介)

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