【日本ハム】清宮、小枝守氏の死去に悲痛「あの時間は宝物」

スポーツ報知
17年8月、U―18W杯前の練習試合で集合写真に納まる小枝監督(左)と清宮主将

 拓大紅陵(千葉)を92年夏の甲子園準優勝に導き、高校日本代表監督も務めた小枝守氏が21日午前9時7分、肝細胞がんのため、都内の病院で亡くなった。67歳だった。日大三(西東京)、拓大紅陵を率いて、両校で甲子園に春夏通算10度出場。高校日本代表監督としては16年U―18アジア選手権優勝、17年には主将・清宮(現日本ハム)を軸にU―18W杯で3位に入った。昨年11月末の検査入院から突然の旅立ちだった。

 日本ハムの清宮幸太郎内野手(19)が21日、千葉・鎌ケ谷の2軍施設で自主トレを行い、小枝守氏を悼んだ。

 早実時代の17年、U―18W杯(カナダ)で、監督だった小枝氏から主将に指名され、チームは3位に入った。「本当にびっくりしました。小枝さんに日本代表のキャプテンに指名していただきましたし、小枝さんと一緒に作り上げたチームだった。本当にあの時間は宝物」と沈痛な表情を浮かべた。

 大会中は、清宮自ら小枝氏を訪ねて2人きりで話したこともあったといい「(主将が)態度で示すことでチームが付いてくるんだ」と背中を押されたという。小枝氏から届いた年賀状には「活躍を願っています」と記されていたという。「より一層、活躍しなければなと思います。小枝さんの分まで」と、亡き恩師への恩返しを誓っていた。

野球

×