【日本ハム】新戦力〈7〉人見知り左腕のドラ7福田「甲子園組」に負けん

スポーツ報知
開幕1軍を目指しブルペンで投球練習に励む福田俊

 道産子左腕がプロの世界で大きく飛翔する。ドラフト7位・福田俊投手(22)=星槎道都大=は「性格は人見知りです」とはにかむ。多くの報道陣に囲まれると、口ごもってしまう。コーチが褒めていたと聞いても、謙遜。普段は謙虚な身長170センチの左腕が、マウンドに立てば強打者をきりきり舞いにさせる姿は爽快だ。

 幼少期は建材メーカーに勤務する父・聡さん(53)の仕事の都合で転勤族だった。人見知りはその頃から。両親が「友達作りにいいかな」と小学3年の兄・悠(はるか)さんを連れ、曙ドラゴンファイヤーズの見学に行ったところ、1年生の俊の方がすぐに上級生とキャッチボールを始めた。悩む兄をせかすように「お兄ちゃんどうするの? 僕はもう入団決めたから!」と宣言。福田の野球人生が始まった。

 小学4年で、第2の故郷、小田原市に転居した。野球に打ち込む俊少年のために、引っ越すより前にまずはチーム探し。事前に調べたチームの練習を、引っ越しの荷ほどきする前に見学に行った。息子のため、父は神奈川に家族を残し北海道に単身赴任したこともある。「雪のないところで野球をやらせてあげたかった」という父母の愛が成長の土台を作った。

 花開いたのは高校卒業を機に、北海道に戻った星槎道都大3年の時だった。高校時代は県8強が最高だった左腕が、明治神宮大会で道勢初の準優勝。全国の舞台で一気に名を売り「自分の、この力でもやれるんだって分かった」と初めてプロを意識した。

 甲子園スターズと呼ばれる同期に、負けるつもりはない。「甲子園行ってたからって活躍できるかはこれから次第。競っていく人に、憧れを抱いていたら勝てないですから」。人見知りな左腕が満員の札幌ドームのお立ち台に上がる日を、北海道のファンは心待ちにしている。(秦 雄太郎)

 ◆福田 俊(ふくだ・すぐる)1996年12月14日、札幌市生まれ。22歳。札幌手稲山口小1年の時、曙ドラゴンファイヤーズで野球を始める。4年時に父の転勤で神奈川・小田原市に転居。中学は小田原ボーイズに所属した。横浜創学館高では3年春の県大会8強が最高。星槎道都大では1年春から中継ぎで登板。3年秋にエースとして明治神宮大会で道勢初の準優勝。家族は両親と兄。170センチ、75キロ。左投左打。年俸700万円(推定)。

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