元西武“炎のセットアッパー”岡本篤志さん、夢の続きは日本とミャンマーの「中継ぎ」

スポーツ報知
ミャンマーで現地の子供たちと交流する岡本篤志さん(本人提供)

 プロ野球・西武ライオンズでセットアッパー右腕として活躍した岡本篤志さん(37)は2016年の現役引退直後に起業し、ミャンマー関連事業を展開している。国と国をつなぐ「中継ぎ」の仕事は、元野球選手としては異例のセカンドライフ。新しいフィールドに立って「日本とミャンマーの懸け橋になりたいです。あと…野球ではかなえられなかった1億円プレーヤーに」と夢の続きを見つめている。(北野 新太)

 闘争心あふれるピッチングで真っ向勝負に挑んできた中継ぎエースは今、現役時代と同じような情熱でミャンマーと向き合っている。

 「最初のきっかけは野球でした。引退した選手がいきなり海外で指導をする、という話は聞いたことがなかったので、チャンスがあれば海外で教えてみたいなと思っていました」

 2016年のシーズン限りで引退。最終登板と引退セレモニーを同9月に終えた岡本さんは、翌月には会社を立ち上げた。

 「経営のことなんて何も分からなかったんですけど、とにかく早く動きたかった。やりきった感はなかったんです。自分なりに13年もよくやれたとは思うんですけど、(元中日の)岩瀬(仁紀)さん(前人未到の1000試合登板を達成し、18年に引退)くらいまで投げないとやりきった感はないはずなんです。野球選手はみんな同じで」

 元G大阪選手のカリスマ実業家・嵜本晋輔さん(36)ら経営者たちとの面会を重ね、それぞれの考え方を勉強しながら事業の在り方を模索していた頃。たまたまミャンマーに縁のあった知人から紹介され、東南アジアの見知らぬ国を訪れた。

 「孤児施設を訪問して野球を教える機会があったんです。貧富格差の激しい国ですし、劣悪な環境なのかなあと想像していたんですけど、子供たちは笑顔で野球を楽しんでくれました。現地の方々はみんな勤勉で、親日家ばかりですし『アジア最後のフロンティア』と呼ばれるくらいビジネスの可能性を持つ点にも魅力を感じました」

 現在は現地に足しげく通いながら、日本企業のミャンマー進出支援、日本企業へのミャンマー人材紹介などの事業を推進している。指導や用具提供など、野球を通した交流にも力を入れている。

 「ミャンマーと日本の中継ぎのような役割を担えたらいいなと思います。野球選手には野球以外のことはできない、というイメージを変えたいという思いも正直あります」。当然、経営者として最も重要になるのは利益を生み出すこと。「野球選手はやはり1億円プレーヤーになって一流です。現役時代の自分は到達することができなかったので、事業では必ず1億円まで達したいと思います」

 会社名は「L.M.K」。ライオンズ、明大、海星高。自らを育て、成長させてくれた3つのチームの魂を胸に挑戦する。「ライオンズの時に特に学んだことですけど、子供の頃のように楽しみながら、真剣に目の前のことに打ち込んでいきたいです」。重圧や試練は成功によって喜びに変えられる―。スパイク痕だらけのマウンドから教えられたことは、船出した社長にとって何よりの武器になる。

 ◆岡本 篤志(おかもと・あつし)1981年5月20日、三重県名張市生まれ。37歳。海星高、明大を経て2003年のドラフト6巡目で西武入団。速球とスライダーを武器とする右腕として主に中継ぎで活躍。13年の現役生活で通算265試合11勝11敗10S58ホールド。16年、引退。177センチ、79キロ。右投右打。現在、一般社団法人アスリートネイル協会理事や宮崎大学客員教授も務める。

 ◆内海は西武に合う

 西武投手陣の空気を知り尽くしている岡本さんは、巨人から電撃移籍した内海哲也投手(36)に「同期入団でフレッシュオールスターでも一緒でしたけど、明るい性格なのでライオンズのチームカラーに合ってる」とエール。「面倒見の良いキャラクターらしいので、若手にとっては質問して吸収できるチャンスですよね」と古巣の後輩たちにメッセージを送っていた。

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