野球は情念や怨念のぶつかり合い…「止めたバットでツーベース」著者・村瀬秀信氏に聞く【後編】

スポーツ報知
村瀬秀信氏(右)とともに「文春野球」を牽引する盟友の長谷川晶一氏(中)、えのきどいちろう氏(左)

 読んだら人に薦めずにはいられなくなる野球短編集「止めたバットでツーベース」(双葉社)の著者、村瀬秀信さん(43)のインタビュー後編。高校卒業後、放浪の旅を続けていた村瀬さんは2000年6月、編集プロダクション「デストロン」に入社し、ライターとしての生活を始める。あれから19年。現在、「文春野球」コミッショナーの重責を担うまでの道のりを聞いた。(加藤 弘士)

 赤い赤い赤い仮面のV3。そう、飛び込んだ会社の名は仮面ライダーV3の主題歌で「敵は地獄のデストロン」と歌われる、あの悪の組織からインスパイアされた粋なもの。村瀬秀信、24歳の夏だった。

 「そこの『戦闘員』として雇ってもらえて。大学に行けなかったところで、ある程度自分の道というのは、自分で切り拓かなくちゃいけなくなったわけです。で、何ができるだろうと思った時に出てきたのが、文章を書くことだった」

 ある道を志す時、大きな決断に至る動機は割と単純な成功体験だったりする。村瀬さんの場合、それは中学時代の学校文集だった。

 「1年生の時…茅ヶ崎市立北陽中1年B組・村瀬君ですよ。そこで『ナメクジ対人間』というエッセイを書いたんですね。それが校内で大ウケになったんです。3年生のきれいな先輩に『もしかして、ナメクジ君?』みたいな感じで話しかけられて。大人っぽい先輩で。ちょっとヤンキーっぽくて。それで『文章で注目されるのは悪くないな』というのがあったんです。褒められた経験は、大きいですよ」

 デビューの機会はすぐに訪れた。雑誌「スコラ」で連載を持つことになった。

 「入って1か月目に連載でしたから。タイトルは『男・村瀬三等兵 ぶらりひとり旅』。デストロンで僕は『男・村瀬三等兵』と呼ばれていて。最下位の二等兵よりも役に立たないからと。仕事は雑用とか、書かせてもらってもエロ本です。だんだん書けるようになってきたのは『GON!』で書くようになってから。僕は『GON!』『散歩の達人』『Number』で書けるようになりたいというのがあったんですよ。中でも『GON!』が好きだった。高3の時に創刊して、毎月買っていたんです」

 ミリオン出版から94年に創刊されたB級ニュースマガジン。編集長はレジェンド・比嘉健二氏。コンプライアンスの8文字が大手を振る現在ならば、あり得ない企画で誌面は埋め尽くされ、自由な解放区として切れ者のライターが躍動していた。読者もまたブッ飛んだ投稿で誌面作りに関わっていた。村瀬さんは放浪時代も友人に購入を依頼し、取り置きしてもらうほど「GON!」に惹かれていた。

 「比嘉さんとかはスター編集者で、一番初めに会った時には震えちゃったぐらい、憧れでした。ライターになって半年ぐらいの頃、比嘉さんと富士の樹海へロケに行ったことがあるんです。『樹海で合コン』みたいな企画で。僕は運転手で、帰りの車中で助手席が比嘉さんになって。その時に、『僕、ライターが分かってきました。やれるような気がしてきました』と言ったんです」

 夢の人と一緒に仕事ができる高揚感。だが次の瞬間、甘い空気は打ち破られた。

 「そしたら『おめえはまだ何もわかってねえよ』と怒られた。すげえショックで。比嘉さんって普段はヘラヘラしたおっちゃんなんですが、その時は本気で怖かった。ライターになるって、そんなに簡単じゃないのかなあと思って」

 ライター生活19年目。今ならばあの時の比嘉氏の想いが、分かる。

 「あれからずっと、『どうすれば本当に認められるライターになれるのか』と考えていた気がします。『ただ書くだけじゃ、ライターじゃねえんだよ』という。そこに何か必要なものがないと、ライターとは呼ばれない。書きたい人はいて、文章がうまい人はいるけれど、それで食っていけない人もいるし、道半ばでやめちゃった人もたくさんいる。そんなに甘いもんじゃねえというのをあそこで、言ってくれたんだろうなあと。あの時の比嘉さんの顔、今でも覚えていますもん。だから僕は、ライターという言葉にこだわっていて。ライターでありたいと思っているんです」

 ライター・村瀬秀信にはもう一つの「肩書」がある。書き手が12球団に分かれ、HIT数を競う「文春野球」のコミッショナー。今季は3年目のシーズンを迎える。

 「書く人間は『俺が一番面白い』って、みんな思っている。それだったら、白黒ハッキリつけようじゃないかと。プロレスでいえば『誰が一番強いか決めたらええんや』という。でも、コミッショナーになってしまったので、『文春野球』の中では僕が書き手として認識されていないんですよ」

 過去2年間、コミッショナーの重責を担い、人選や運営に心血を注いできた。しかし、心のどこかには「男・村瀬三等兵」として自らも読者と真剣勝負したいという思いもあるはずだ。そんな中で上梓した「止めたバットでツーベース」。この一冊からは、飢えにも似た村瀬さんの情念が感じられるのですが。そんな問いに、笑顔で答えた。

 「野球は情念や怨念のぶつかり合い。文章も、まさにそう。そこからにじみ出てくるものですからね。俺はここにいるよ、っていう。俺はライターで、生きているっていうことですよ」

 <村瀬 秀信>(むらせ・ひでのぶ)1975年8月29日、神奈川県茅ケ崎市生まれ。43歳。茅ケ崎西浜高卒業後、編集プロダクションを経て独立。著書には「4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史」「プロ野球 最期の言葉」「気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている」などがある。

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