古田敦也氏“裏切りの後継者”と12年ぶりに再会「彼しかいないと思っていた」

スポーツ報知
古田敦也氏

 元ヤクルト監督で野球解説者の古田敦也氏(53)がTBS系「爆報!THE フライデー」(金曜・後7時)の企画で、監督時代に「後継者」として正捕手の座を託した米野智人氏(37)と12年ぶりの再会を果たし、その様子が22日放送の同番組で放送された。

 米野氏は北海道小樽市の北照高を経て2000年にドラフト3位でヤクルトに入団。「名捕手・古田の後継者」に指名された。06年に古田が選手兼監督になると、正捕手の座を託され、監督から野球だけでなく私生活のさまざまな振る舞いについても指導されたという。

 ところが「後継者」の立場が、米野氏には重圧だった。番組のインタビューで米野氏は「試合に出るのが怖くなって、自分をどんどん追い込んでいった」と振り返る。キャッチなどでミスを連発するようになり、重圧に耐え切れず暴飲暴食を繰り返した。07年には2番手捕手となり、監督から「おまえの、その態度は何だ。捕手をやる資格はない」と告げられて2軍落ち。それ以来、古田氏とは一度も会っておらず「お世話になったのに申し訳ない」と米野氏は気にし続けてきた。

 ヤクルトから西武、日本ハムを経て17年に現役を引退した米野氏は現在、妻・貴美さん(32)とともに自然食レストランを経営中。12年ぶりの再会は古田氏のアポなし、サプライズ訪問の形をとった。

 店に現れた古田氏に「聞いてないっす。びっくりです」と恐縮しっぱなしの米野氏だったが、落ち着くと、心残りだったことを話し始め「すごいチャンスをいただいたのに、力不足で…。引退したときもご連絡できなくて、本当に大変失礼いたしました」と、言えずにいた謝罪の言葉を述べた。

 古田氏は「正直なこと言うと僕の後継者は彼しかいないと思っていた。肩も強いし体もいいし、当時のヤクルトのキャッチャーは7~8人いたと思いますが、その中でも一番すぐれていました」と、米野の才能を認めていたことを打ち明けた。

 店内では米野氏自慢の「山椒カレー」が古田氏に振る舞われた。

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