元巨人・田中健太郎さん、新潟ボーイズ発足させ監督として活躍中<下>悔やんだ長男の手術

スポーツ報知
田中さんが幼稚園で開いている野球教室の様子

 現役引退後に少年野球の指導者になる元プロや甲子園のスター選手は多い。だが、教える事は自身でプレーをすることとは違い、指導のあり方など日々試行錯誤を繰り返しているという。ボーイズリーグで新潟県唯一のチームを発足させ、監督を務める新潟ボーイズの元巨人投手・田中健太郎さん(39)。(構成・芝野栄一)

 肩を痛めてわずか5年で巨人を退団した田中健太郎さんは、その後スポーツ健康事業を展開するファイテンに勤め、そこで広げた人脈を生かして2013年に新潟で起業した。野球教室の企画・運営から現役プロ野球選手のトレーニングサポートなど幅広く手がけ、その一環として15年にリーグで県唯一の中学生チーム・新潟ボーイズを発足させた。そこでは肩肘の定期健診を実施するなど、選手の体調管理に万全を期していた。

 新潟ボーイズは17年夏に関東大会初出場を果たすなどすぐに結果を出したが、その年の秋にまさかの出来事が起きた。田中さんと同じ投手を志して入部した当時2年の長男・秀成さんが突然肘痛を告白。検査の結果、軟骨の移植手術が必要と判明した。「ずっと黙っていたんですね。状態をチェックしても『大丈夫』としか答えなかった。いろいろ考えて言えなかったのでしょうが、親としては最低でした」と田中さんは悔やんだ。手術を終えた秀成さんは順調に回復しているが、高校は外野手で野球を続けるという。

 このことで田中さんはコミュニケーションの重要性を再認識した。「子どもは『試合に出してもらえないのでは』という不安から『痛い』とはなかなか言わない。様子が変だと思って聞いても『大丈夫』としか答えません。だから日頃から選手と多く会話して、口調や表情の変化で本音が分かるように心掛けています」。冬場、新潟ボーイズの練習は室内での体幹トレやティー打撃が中心。全体が見渡せるチーム専用のビニールハウスで田中さんは注意深く見守る。ある時は打撃フォームに悩んでいる様子の選手を見つけ、声を掛けて丁寧に指導した。

 田中さんには夢があった。「1軍で活躍して有名になって年俸も上がったら、引退後は大勢の子どもたちを無償で教えたかった」。1軍出場はかなわなかったが、現在ボランティアで野球の普及活動に取り組んでいる。「幼稚園児に楽しさを知ってもらおうと新潟、長野の12園を順に回っています。軟らかいゴムボールを遠くへ投げたり壁に当てたりする簡単なことから始める。野球が好きな子どもたちを育てることで、今までお世話になった方々への恩返しに代えたい」

 田中さんは恩師として松商学園高時代の中原英孝元監督、プロで指導を受けた巨人・内田順三巡回打撃コーチらの名を挙げた。「内田さんは遠征先でも宿舎の部屋で素振りを見てもらった思い出があり、自分の指導者としてのベースになっている。今年の目標は8月に新潟ボーイズで初めて全国大会に出場し、9月はハードオフエコスタジアム新潟で開催予定の幼稚園児と保護者対象の野球教室を成功させること」。第2の人生でも田中さんは夢を追い続けている。

 ◆田中健太郎>(たなか けんたろう)1979年6月7日生まれ。埼玉県坂戸市出身。小学生時は坂戸中央ファイターズ(現坂戸中央ボーイズ)、中学では全坂戸(現坂戸ボーイズ)に所属。松商学園高から巨人入りを果たすも1軍出場のないまま02年に退団した。13年に新潟で「OUT FIELD」を起業し、スポーツイベントの企画・運営などを手がけている。

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