田宮二郎さん、植毛手術の後遺症にも苦しんでいた…猟銃自殺から39年、長男が壮絶人生明かす

2017年8月29日21時39分  スポーツ報知
  • 田宮二郎さん(1977年撮影)

 29日にBS11で放送された「あのスターにもう一度逢いたい」(火曜・後8時)では、1960~70年代に活躍し、78年に43歳の若さで猟銃自殺を図って亡くなった俳優・田宮二郎さんについて「名優の光と影~長男が明かす自殺の真相~」として特集。当時12歳だった長男の柴田光太郎さん(51)が田宮さんの死について語った。

 田宮さんは端正な顔立ちに180センチを超す長身、学習院大在学中に「ミスター日本コンテスト」に優勝しデビューした。大映映画では勝新太郎さんと共演した「悪名」シリーズなどで活躍したが、名前の序列について抗議したことから大映を解雇され、「五社協定」によって映画界を“追放”。その後は、テレビの世界へシフトし人気番組「クイズタイムショック」の司会者などで人気となった。

 父としての田宮さんは「優しい父親でしたね」と光太郎さん。仕事で地方や海外に行くと「必ず、母と私と弟に毎日3通手紙を書いてたんですよ」と、光太郎さん宛てに「愛するぼうちゃんへ」と書かれた手紙を見せた。

 しかし、一方で日英合作映画の製作・主演に失敗し莫大な借金を背負う。あやしい事業に手を出したり、大学の先輩から詐欺にあって借金に追われるなど苦悩を抱えていた。また、田宮さんがひそかに悩んでいたのが「薄毛」だという。「ロンドンに渡って植毛手術を受けたんですが、田植えのように入れていくんですって。抜け毛も激しいし、すさまじい偏頭痛で」と、ハンサム俳優ならではの深い悩みを抱えていたことも明かした。

 大女優との不倫の噂もあった。光太郎さんは母が電話で口論していた相手女性に電話口で「パパを返して!」と叫んだという生々しい記憶を告白した。

 「その頃から躁鬱(そううつ)病になっていました」。長期休養をとろうとしていた矢先にドラマ「白い巨塔」主演の話が舞い込んだ。家族の反対を押し切って大作に挑んだが、撮影中の田宮さんの異変に光太郎さんは気付いていたという。最終回の放送を待たずに悲劇が起こった。

 亡くなった12月28日はスキー合宿で自宅を離れていた光太郎さん。宿舎で先生が読んでいたスポーツ新聞の見出しで「田宮二郎、猟銃自殺」を知った。その話をする光太郎さんの目には涙。「今は50歳過ぎてますけど、その時の(ことになると)、12歳のままなの…」と声を詰まらせた。

 最後に光太郎さんは、田宮さんへメッセージ。「あの時、僕がもう少し大きければ、あなたの相談に乗っていたかもしれない」「骨が折れるくらい殴り合えていたら、止められたかもしれない」と切ない思いを吐露した。

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