誰より完璧なパフォーマンスを追究…浅利慶太さん評伝

2018年7月19日6時0分  スポーツ報知
  • 浅利慶太さん

 「劇団四季」創立メンバーの一人で、98年長野冬季五輪の開閉会式の総合プロデュースを手掛けた演出家の浅利慶太(あさり・けいた)さんが7月13日午後5時33分、悪性リンパ腫のため都内の病院で死去していたことが18日、発表された。85歳。「キャッツ」「ライオンキング」など日本にミュージカルを根づかせ、ロングラン公演を成功させた。

 長年の拠点だった横浜市の四季芸術センターの玄関口には大きな貼り紙があった。

 「一音落とす者は去れ!」

 完璧を誰よりも求めた。ミュージカルの大前提は出演者全員が正確な音程で歌うこと―。パーフェクトでない者は観客の前に出る資格なし。浅利さんの厳格な哲学は、半世紀を超える劇団四季の歴史を支え続けた。

 小学3年の時、太平洋戦争の勃発とともに長野・軽井沢に学童疎開。猛烈ないじめに遭い、登校拒否した。自宅にあった夏目漱石全集を木陰に持ち出して読み続け、物語の持つ面白さを知った。演劇部に進んだ慶応高2年時、演劇祭で初演出した作品を、顧問で劇作家の加藤道夫氏に「君には才能がある」と激賞され、人生を決めた。

 20歳の時、慶大や東大の友人10人で劇団四季を設立。大学も中退し、極貧生活が始まった。月会費1000円に四苦八苦し、夜の幼稚園を無理言って借りて稽古場にした。

 若き日の体験から、自らの劇団員には大学初任給以上の給与を払い、副業は認めなかった。稽古の時間を与え、完璧なパフォーマンスを求めた。日課はチケットの売れ行き状況のチェック。観客の感想メールは全て目を通した。完璧が崩れると、原因が何かを追究した。

 1998年の長野五輪開閉会式の演出を担当。JOCが聖火の最終走者に夏季競技である女子マラソン選手2人を提案すると大激怒。フィギュアスケートの伊藤みどりにこだわり、押し通した。

芸能
今日のスポーツ報知(東京版)
報知ブログ(最新更新分)一覧へ