大のG党、激情家で信念貫いた風雲児・浅利慶太さん…演劇ジャーナリストが語る
スポーツ報知
「劇団四季」創立メンバーの一人で、98年長野冬季五輪の開閉会式の総合プロデュースを手掛けた演出家の浅利慶太(あさり・けいた)さんが7月13日午後5時33分、悪性リンパ腫のため都内の病院で死去していたことが18日、発表された。85歳。「キャッツ」「ライオンキング」など日本にミュージカルを根づかせ、ロングラン公演を成功させた。
巨星墜(お)つ―。訃報を聞いての実感だ。ある作家が浅利氏を「織田信長だ」と言ったが、戦略家で激情家で、信念の人だった。野球少年だった浅利氏は根っからのG党。それに例え「ウチのONは保坂知寿と野村玲子だ」と言った。当時の男優陣は鹿賀丈史、滝田栄、市村正親ら。ミュージカル時代の到来を予測し女優の将来性に賭けていた。保坂は退団したが、野村は浅利夫人になった。
役者だけでなく若手スタッフ3人を営業、製作、総務に配置。俳優が切符を手売りする方法を脱皮するための戦略をいち早く練った。
すし店に呼ばれたことがあった。日本酒を傾け、サウスポーの浅利氏は次々と出る握りを口に運んだ。健啖(たん)家だった。愛情を注いだ分、劇団を去る人には厳しく、去った者は戻さなかった。
ミュージカル「キャッツ」初演前、チャーター機を用意し多数のマスコミを米ブロードウェー公演に招待した。演劇界初のこと。その際のあいさつは鬼のように厳しかった。もう彼のような風雲児は出て来ないだろう。(演劇ジャーナリスト・大島幸久)