「愛と死をみつめて」歌手・青山和子を作ってくれた曲

スポーツ報知
「50年以上も親しんでもらえる曲があるのは幸せ」と笑顔で語る青山和子(カメラ・清水 武)

 日本の名曲の魅力に迫る「にHo!んの歌」。7月は歌手・青山和子(72)の「愛と死をみつめて」(作詞・大矢弘子、作曲・土田啓四郎)。1964年に日本中が東京五輪で明るく沸く中、難病で死に別れる恋人への思いをしっとり歌いミリオンヒット。敬愛する故・美空ひばりさんより早く、レコード会社・日本コロムビア第1号となる同年の日本レコード大賞に輝いた。大ヒットした純愛小説さながらに、死にゆく主人公のはかなさを表現した同曲への姿勢などを語った。(星野 浩司)

 まこ…甘えてばかりでごめんネ。みこは…とってもしあわせなの―。

 軟骨肉腫に侵され、21歳で亡くなった大島みち子さんと恋人の浪人生・河野実(まこと)さんの文通の一節。小説はベストセラーとなった。名プロデューサー・酒井政利氏(82)の初作品としてレコード化され、デビュー4年目、18歳の青山が歌い手に抜てきされた。

 「小説が大流行していた高2の冬頃、学校の帰りに新橋のコロムビアの本社に寄ったら、部長が『君が歌うことになった』と。ビックリでした。大役の重さや歌詞の意味もよく理解してなかったと思う。ただ一生懸命、怖いもの知らずで歌ってたんでしょうね」

 歌詞は自身も読んだ小説から抜粋。相手に語りかける歌い方に苦戦した。

 「本がそのまま歌詞になってて、なんて歌いにくい歌なんだと思った。呼び掛ける言葉がワルツのメロディーになってて、譜面通り歌ったら曲にならない。土田先生から『歌うより語ってください』と。余命わずかの人間は大きく『ハァ』って息もできないから、歌う時は細々と静かに息をするのを意識しました」

 「まこ」の2文字の歌い方ひとつとっても、1~3番で全く違うという。

 「1番は苦しいけど希望を持って頑張る『まこ』。2番は彼との思い出への感謝を伝える『まこ』。3番は余命いくばくもなく死んでいくから、私の分まで生きてと願う『まこ』。レコーディングはバンドの生演奏で一発勝負。優しい、淡々と、思い入れ強く…と3パターンの歌い方で録音して、淡々と歌ったものが満場一致で採用されたんです」

 64年7月にレコードが発売。東京五輪で日本中が明るく盛り上がる中、青山は悲しみにあふれる同曲で一世を風靡(ふうび)した。

 「河野さんに話を聞いたり本を読み返して、長い闘病はつらかったろうなと涙を流しながら歌ってました。世の中は五輪で明るいムードだけど、私は会社が頑張って後押ししてくれるし頑張らなきゃと必死でした。日本選手の活躍も見られないほど忙しく全国をキャンペーンで回ってました」

 大空真弓・山本学主演のTBS系ドラマ、吉永小百合・浜田光夫コンビの日活映画との相乗効果もあり、同曲は100万枚のヒットを記録した。

 「発売から10日後には全国のレコード店で品切れになってたそうです。うれしかったですよ。ある日、コロムビアに行ったら、宣伝部長が『美空ひばりさんより売れてるよ』と。当時は訳が分からなかったですね」

 65年に「柔」でレコード大賞に輝いたひばりさんより1年早く大賞を受賞。コロムビアでは第1号だった。

 「大賞が決まった後、ひばり御殿にお邪魔したんです。緊張して玄関でうつむいてたら、天下のひばりさんが『和子ちゃん、お顔上げなさいよ』って。『あんた、この曲は難しいのよ。私もらってないのに、あなたが先にレコード大賞ね』と祝福してくれたんです」

 レコ大の本番は人生で最も緊張したステージに―。

 「そうそうたる先輩がいる中で一番最後にド新人が歌うからドキドキです。見かねた三波春夫先生が『君が一番晴れる舞台だ。頑張って歌っちゃいなさい』と。最初の『まこ』が歌えた時に大丈夫だと思えました。そのままの衣装でNHKホールに移動して、紅白歌合戦では落ち着いて歌えました」

 2006年には草ナギ剛・広末涼子主演で42年ぶりにドラマ化(テレビ朝日系)。主題歌はDREAMS COME TRUEが「愛と―」をカバーした。「ドリカムの事務所から(歌うことを伝える)お手紙が来て、大好きだったのでカバーしてもらえるのは本当にうれしかった。吉田美和さんの淡々と素朴な歌い方がとてもよかったです」

 発売から54年。純愛を歌う名曲としてファンから愛され続けている。

 「この曲は私を知らない若い人も知ってるのがすごい。時代の売れ線を知ってた酒井さんに1から10まで教わりました。『ゲラゲラ笑うイメージを変えて、無口でおとなしいイメージで歌いなさい』。50年たってもその言葉を忘れず歌ってます。歌手・青山和子を作ってくれた曲ですね」

 青山は、今年から離島でのライブをライフワークとして始めた。1月に奄美大島、喜界島を訪れ、公民館や体育館で歌唱。「島の人は純粋で元気な人が多くて、島の歌の魅力を感じた。ステージで『70を超えたけど、これからいろんな島で歌います。島娘と呼んで!』と叫んだら大ウケでした」。今秋には徳之島、加計呂麻島を巡る予定で「感謝の気持ちを伝えるために歌って回ります」と語った。

 また、テレビ埼玉の音楽番組「演歌街道」(日曜・前7時)で8月5日の放送回から司会を務める。

 ◆青山 和子(あおやま・かずこ)1946年5月4日、京都市出身。72歳。58年コロムビア全国歌謡コンクールで優勝。60年に本名「榊原貴代子」として「さみしい花」でデビュー。62年に映画「青い山脈」(吉永小百合主演、翌年公開)の同名主題歌を神戸一郎とデュエットし、青山和子に改名。64年「愛と死をみつめて」で日本レコード大賞を受賞し、NHK紅白歌合戦に初出場。ヒット曲は「夢を下さい」「函館ブルース」など。血液型B。

 【1964年の世相】東海道新幹線開業(東京―新大阪を時速210キロで4時間。運賃は特急券合わせ片道2480円)。東京モノレール開通。東京五輪開催、日本は金メダル16個獲得。池田勇人首相は五輪閉幕翌日に退陣を発表。佐藤栄作内閣成立。海外旅行が自由化。日本武道館が完成。「東洋の魔女」「ウルトラC」が流行語に。NHK紅白歌合戦のトリは紅組が美空ひばり「柔」、白組が三波春夫「俵星玄蕃」。

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