昭和の名優・津川雅彦さんが死去、78歳 4月に亡くなった妻・朝丘雪路さんを追うように

スポーツ報知
津川雅彦さん

 映画「ひとひらの雪」「マルサの女」を始め、映画監督としても活躍した俳優の津川雅彦(本名・加藤雅彦)さんが4日に心不全のため亡くなったことが7日、分かった。78歳だった。父は俳優の澤村国太郎、母は女優のマキノ智子と芸能一家に生まれ、子役から活躍。16歳で本格的に映画デビューするとスター街道を上り、その後は名悪役としても活躍した。今年4月に妻で女優の朝丘雪路さん(享年82)が亡くなった際、5月に都内で会見し愛妻に感謝したばかりだった。

 昭和の名優がまた1人、この世を去った。

 津川さんは今年5月20日、4月に妻の朝丘雪路さんが亡くなったことを受け都内で会見。自身も肺炎を患い自宅療養中で、鼻に酸素チューブをつけ椅子に座りながら取材に応じた。体調を心配する報道陣に「大丈夫じゃないね」と本音を語りつつ「あらゆることに感謝です」と天国の愛妻への思いを語っていた。会見からまだ、3か月足らず。朝丘さんを追いかけるように天国へと旅立った。

 芸能一家に生まれた津川さんは、子役として数本の映画に出演し、1956年、16歳の時に映画「狂った果実」でデビューした。主演の石原裕次郎さんの弟役を探していた元東京都知事で作家の石原慎太郎さんが気に入って津川さんの家族に出演を交渉し、名付け親にもなったという。

 映画は大ヒットし、津川さんもたちまちスターダムへ上り詰め、日活の看板俳優として「夏の嵐」、「孤獨の人」などで活躍した。

 人気絶頂の58年に松竹に移籍したがヒットに恵まれず、フリーに転身。テレビにも活動の幅を広げたが、69年、デヴィ夫人との不倫騒動が持ち上がり仕事が激減した。しかし、72年、テレビ朝日系「必殺仕掛人」に悪役でゲスト出演すると、名脇役として再ブレイクを果たした。

 73年には大恋愛の末に朝丘さんと結婚した。今年4月に朝丘さんが亡くなるまで、芸能界屈指のおしどり夫婦として知られた。

 82年には「マノン」でブルーリボン賞助演男優賞を受賞。伊丹十三監督作品の常連としてもしられたほか、時代劇でも活躍。87年の「独眼竜政宗」、2000年の「葵 徳川三代」とともにNHK大河ドラマで徳川家康を演じたことでも話題となった。

 06年にはマキノ雅彦名義で初監督映画「寝ずの番」が公開。また、74年に誕生した長女に安全なおもちゃを、という思いから78年におもちゃ会社「グランパパ」を設立。その後、同名の芸能事務所に所属し代表を務めた。08年に玩具事業が失敗すると多額の負債を抱えたことから朝丘さん名義の自宅を売却し、返済に充てた。津川さんは「金にキレイな人で、すんなり渡してくれました。うれしかったです」と内助の功に感謝していた。

 11年に亡くなった俳優の長門裕之さん(享年77)は実兄。長門さんとはデビュー以来、何かと比較されてライバル関係が続いていたが、津川さんがブルーリボン賞を受賞した際に、長門さんは実力を認めて和解。晩年は共演することも多かった。

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