津川さん、涙流し誓った「世界一のパパになる」

スポーツ報知
勝新太郎さん(右)に肩を組まれ、笑顔をみせる津川雅彦さん。昭和の名優がまた一人亡くなった(86年)

 44年間、津川さんがずっと胸に抱えた思いがある。「世界一のパパになろう」。俳優として、男として、そして父親としての信念は命を失う日まで変わらなかった。

 1974年8月15日未明のこと。自宅にいた生後5か月の長女・真由子(現・女優)が何者かに連れ去られる誘拐事件が発生し、日本中を巻き込む大騒動に発展した。

 2日後、無事に保護。無精ひげ姿でテレビカメラの前に立った津川さんは、涙を流しながら「これからは日本一の役者になる前に、世界一のパパになろうと思います…」と誓った。

 根っからのプレーボーイで、世をスキャンダルでにぎわせてもどこ吹く風だった男は、この出来事で人が変わった。夜の銀座通い、競馬、麻雀…全部やめた。撮影の合間に帰宅し、子供との時間を愛するようになった。

 ある日、おもちゃを買いに行くとプラスチック製の商品しかないことにショックを受けた。78年には自らおもちゃ店をオープンさせた。良品質と低価格の木製商品にこだわった店は利益を生まなかった。

 88年、北海道のローカル線だった広尾線が廃線になると「幸福鉄道」として復活させる構想を掲げ、英国の古城を買い取って「サンタのお城」として復元しようとした。バブルの崩壊で実現しなかった。

 2013年には、北朝鮮拉致問題早期解決のための啓発ポスターに登場し「我が事のように思える人間として参加させていただきました」と言った。

 どこか不器用なままに「世界一のパパ」を目指したロマンチックな半生だった。

 中島丈博さん(脚本家)「『狂った果実』の頃から石原裕次郎と対等の演技をしていたのに、津川さんはスターぶらず、融通無碍(むげ)なところがあった。僕が監督した映画やテレビドラマに何本か出てもらったが、主役でなく、脇役でもちょっと面白い役だと気軽に引き受けてくれ、演技はいつも完璧だった。妻の朝丘雪路さんが亡くなった際、『僕が先に死んで彼女を残すよりはいい結果になった』とコメントしていたのが印象的だった。ああいう品格のある老人の役者がいなくなってしまい、寂しい限りだ」

 ミッキー・カーチス(歌手、俳優)「津川雅彦が亡くなった。若い頃、彼は日活、俺は東宝、なぜか仲良く毎晩のように一緒に遊んでいた。俺より若いのにがっかり。最後に一緒が(テレ朝系で17年放送の)『やすらぎの郷』。この年になると、友達がどんどんいなくなっていく。寂しい限りだねぇ~」

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