中尾敏之五段、棋士生活20年に幕「悔いはない。ただ力が足りなかった」

2018年8月27日10時0分  スポーツ報知
  • 静岡県富士市の自宅で取材に応じる中尾敏之五段。右奥で寝そべるのは飼い猫のトラちゃん

 今月13日、一人の棋士が最後の対局を終えた。規定により引退が確定していた中尾敏之五段(43)が第31期竜王戦6組で星野良生四段(30)に敗れ、20年間に及ぶ現役生活に終止符を打った。引退回避を目指し、2月には戦後最長手数となる420手の名勝負を演じるなどファンの記憶に残る執念を見せた男は、何を思って戦い、今後をどう生きるのか。静岡県富士市の自宅で現在の思いと夢を聞いた。

 燃え尽きた者の晴れやかな表情だった。引退について語る中尾は笑顔だった。

 「悔いはないです。引退が決まってからの2局は、強い人と全力で将棋を指すことが本当に楽しくて。まだ小さくて、初心者だった頃のような純粋な気持ちでした」

 死力を尽くして戦ったからこそ、視線は前を向いている。

 生存への執念が生むドラマがファンの胸を打った。1998年のデビューから通年度で18年連続負け越しの男は、引退規定の該当年となった2017年度、驚異の進撃を開始する。フリークラスから順位戦復帰への条件「参加棋戦数+8勝以上、勝率6割以上」の規定を満たすべく、10棋戦に参加し、佐藤康光九段(48)を下すなど大活躍した。

 「後悔しない1年を過ごしたかった。今までは相手のことばかり考えていましたけど、初めて自分とは何かを考えました。長所を生かし、短所を補えば格上相手でも戦えると」

 今年2月の竜王戦6組・牧野光則五段(30)戦は戦後最長手数となる420手、持将棋指し直しの死闘に。指し直し局も含めると19時間超、計520手に及ぶ歴史的勝負となった。

 「記録係が3枚目の棋譜用紙(1枚150手まで)を準備した時は驚きました(笑い)。ただ負けたくない、ただ勝ちたい、の気持ちでした。勝負の後は疲れ果てて動けなかった。長ければいいわけじゃないですけど、記録に名を残せたのはうれしいです」

 そして3月、勝てば現役続行、負ければ引退となる棋王戦予選4回戦で同郷の青嶋未来五段(23)との大一番に敗れ、盤上を去ることになった。17勝11敗。初の年度勝ち越しだった。

 「あと1勝だったので悔しい気持ちもありますけど、今、1年前に戻っても同じ日々を送るので悔いはないです。ただ、力が足りなかった」

 4月から地元のコーヒー製造メーカーでアルバイトとして勤務しながらパソコン教室に通い、ときどきは将棋の指導もしている。

 「将棋だけを続けることも考えたんですけど、新しい世界でどれだけできるか試したい思いがありました。コーヒーは昔から大好きなので、好きなことに関われるのはありがたいです」

 偶然、職場では昼休みに将棋を指すことが流行中。周囲も中尾が現役棋士だったことを知っている。黙って勝負を見守るが、質問されれば教える。

 「将棋のおかげで早く打ち解けられましたよ」

夢は将棋教室開業 今は正社員として働ける職場を探しながら、遠い夢を見ている。

 「働いて定年を迎えられたら、将棋教室を開きたい。子供たちが強くなるのを見るのがすごく好きなんです」

 日本一の山の目の前にいるために、生まれてから今日まで富士市を離れたことがない。日本将棋連盟所属退役棋士・中尾敏之五段。現役ではなくなったが「棋士」ではあり続ける。人生の第2局を闘い始めている。(北野 新太)

 ◆中尾 敏之(なかお・としゆき)1974年10月24日、静岡県富士市生まれ。43歳。故・廣津久雄九段門下。小1時に父親に教わって将棋を始め、中3で棋士養成機関「奨励会」入会。98年、23歳で四段昇段。2007年、五段に。17年度の竜王戦6組・牧野光則五段戦は将棋大賞で名局賞特別賞を受賞。終盤の粘りから逆転につなげることを得意とする居飛車党。通算446戦186勝260敗、勝率4割1分7厘。

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