羽生竜王生んだ名門「八王子将棋クラブ」が閉所…ビル老朽化と八木下席主の体調考慮

スポーツ報知
1982年夏の八王子将棋クラブ。小6の羽生善治現竜王(前列左端)、後に十八世名人資格保持者となる森内俊之現九段(前列左から3人目)も同所を訪れていた

 将棋の羽生善治竜王(47)や中村太地王座(30)ら数多くの棋士・女流棋士を輩出した名門「八王子将棋クラブ」(東京都八王子市)が年内限りで閉所されることが28日、分かった。理由は、ビルの老朽化による改修と席主・八木下征男さん(75)の体調面。1977年のオープンから41年の歴史に幕を下ろすことになった八木下さんは、スポーツ報知の取材に「寂しいですが、良い人々に恵まれた良い人生でした」と語った。

 既に羽生竜王ら教え子の棋士たちにも閉所の事実を伝えた八木下さんは「寂しいですけど、遅かれ早かれ決断しなくてはいけないことでした。長く続けてボロボロになるより、今やめた方がいいと思いました」と決断に至る思いを語った。入居するビルが老朽化のため来年1月から改修工事に入ることに。さらに、週3回の人工透析を受けながら道場に立ち続けている八木下さん自身の体調を考慮し、閉所を決めた。

 将棋史を語る上で不可欠な場所となった「八王子将棋クラブ」は77年オープン。サラリーマンだった八木下さんが大好きな将棋を仕事にするため、一念発起して退社し、生まれ故郷に開所した。当時の将棋道場は大人のたまり場という側面もあったが、あえて完全禁煙にして子供が来やすい環境を整え、会報「八将タイムス」も発行。誰もが親しめる場所に育て上げた。

 開所の翌夏に訪れたのが将棋を始めて1年、7歳の羽生竜王だった。まだ初心者同然ながら、旺盛な好奇心に光るものを感じた八木下さんは、羽生少年のために通常の最下級「7級」より大幅に低い「15級」を設定。ステップアップする喜びを知った少年は急成長し、小6で棋士養成機関「奨励会」に入る頃には名人候補と呼ばれるようになっていた。「羽生さんは偉大で、素晴らしい人でもあります。羽生さんだけでなく、良い人々に巡り合えた良い人生でした」(八木下さん)。羽生竜王はクラブでの指導対局を毎年欠かしていない。

 96年に羽生7冠が誕生して道場の名が知れ渡ると、多くの子供たちが門を叩いた。中村王座、阿久津主税八段、村山慈明七段ら後の強豪たちが続々と巣立つ全国でも類を見ない名門になった。八木下さんは「去年、中村さんが羽生さんからタイトルを取って、阿久津さんがA級に復帰し、増田(康宏六段)君が新人王戦で連覇して、みんなが花を咲かせたことも決断する理由になりました」と明るい口調で語っていた。

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