小倉智昭氏、さくらももこさんをブログで追悼「『平成』を駆け抜けたという早世になってしまいました」

スポーツ報知
小倉智昭氏

 フリーアナウンサーの小倉智昭氏(71)が29日、自身のブログを更新し15日に死去したフジテレビ系アニメ「ちびまる子ちゃん」(日曜・後6時)の原作者として知られる、漫画家のさくらももこさん(本名非公表、享年53)を悼んだ。

 「はやすぎるよ、さくらさん」と題したブログで小倉氏は「子供から大人までに愛されている「ちびまる子ちゃん」の原作者、さくらももこさんが今月15日、乳がんのため53歳という若さで亡くなっていたことが分かりました。所属事務所からの発表でした。その「早すぎる死」に悲しみの声が広がっています」と記した。

 その上で「日曜日の夕方、お茶の間を笑顔で包むアニメ、「ちびまる子ちゃん」。なんでもかんでもいいんだ~、踊りを踊っていい~ぞ~(原作はひらがな)・・・ピーシャラ ピーシャラ・・の初代テーマ曲、『おどるぽんぽこりん』は当時、売れに売れて1990年、レコード大賞を受賞しています。さくらさんは1984年に漫画家としてデビュー。86年、さくらさん自身の子供時代をモデルにした「ちびまる子ちゃん」(主人公のニックネーム)の連載開始、1990年からはアニメもスタート。歴代最高視聴率は39.9%!だと。改めてその人気にびっくりします」とつづった。

 さらに「さくらさんの逝去を受けて、フジテレビは逝去後も放送を継続することを発表していますが、「ちびまる子ちゃん」の9月2日(日)の放送回は追悼として急きょ放送内容を変更して、「ちびまる子ちゃん誕生25周年記念企画」として放送した「まる子、きょうだいげんかをする」「まる子、つづらの中身が知りたい」を再放送する予定です」と明かした。

 「さくらももこさんは本名を明かさなかった方です。関係者、ごく親しかった方はもちろんご存知だと思いますが・・・昨日、僚紙「夕刊フジ」が「さくらももこさん死去」「本紙に語っていた秘話」の大見出しで記事を掲載していました。取材したのはブームに火が付いたころ、1989年8月22日付の紙面です。一部ご紹介します」とし「さくら ももこ<メモ>本名は秘密。昭和40年5月8日静岡県清水市生まれ。58年静岡英和短大国文科在学中に「教えてやるんだ ありがたく思え!」でデビュー。卒業後、上京。「ぎょうせい出版」に就職したが連載の仕事が忙しくなり退職。『ちびまる子ちゃん』は「リボン」(集英社)61年(昭和)8月号から連載。大好評で第13回講談社漫画賞を受賞。単行本は1~4巻で170万部を超え・・・インタビュー取材が行われた89年(平成元年)当時、━テレビアニメ化について《「まる子ちゃんは私にとって大切なキャラクターだから」と慎重に検討中》翌年フジテレビ系でスタートしたアニメの放送は今後も続く━」と紹介し「当時の紙面の集英社「りぼん マスコット コミックス」からの絵と単行本「ちびまる子」を手にしたご本人の写真が併載されているのですが、まあよく似ていること。びっくりです」と思いをつづった。

 その上で「「平成」も来年の4月30日までで、年号が変わるまであとわずか。まさに「平成」を駆け抜けたという早世になってしまいました」と悼んでいた。

芸能

×