松井秀喜氏が星稜の元エース・山口氏に贈った言葉とは

スポーツ報知
松井秀喜氏

 ヤンキースGM付特別アドバイザーを務める松井秀喜氏(44)が1日放送のTBS系「バース・デイ」(土曜・後5時)に出演。母校・星稜の元エースに贈った言葉が紹介された。

 番組では松井氏が甲子園を共に戦った星稜の元ナインと食事会を開いているところを追った。1992年夏の甲子園では高知・明徳義塾と対戦した2回戦で敗退。その試合で、松井氏は5連続敬遠され、バットを振れないまま敗退。社会問題にまで発展した。

 その試合に先発したのが、エース・山口哲治氏(当時3年)。地元・石川県大会では、5試合に先発、自責点0・00の成績を残すも、明徳義塾戦では先制点を与えてしまった。

 番組の取材に応じた明徳義塾・馬淵史郎監督(62)は「1点でもリードしたら松井は敬遠。うちが勝つには、松井と勝負するなと言っていた」と振り返った。

 山口氏が先制を許したことで松井氏はその後、全打席敬遠され、チームは敗退した。その後、高校日本代表に選出された松井氏と山口氏。松井氏はドラフト1位で巨人に入団。しかし、プロ志望を表明していた山口氏には指名無し。それでもプロを目指し、社会人野球・神戸製鋼に進んだ。

 目立った成績を残せなかった山口氏は社会人野球8年目に肩を壊し、そのまま引退。その年の12月に美砂子夫人(当時27歳)と結婚。披露宴には、すでに日本屈指のスラッガーとなっていた松井氏が駆けつけた。松井氏はスピーチで「今年いっぱいで野球を辞められるということで。プロで対戦するか同じチームでやるという夢がありました。夢はかなえられませんでしたけど、これから2世をプロ野球に送り込んでいただければ。ぜひ我が巨人軍でお待ちしています。いい選手に育て上げてもらいたいなと」と山口夫妻を祝福した。

 番組の最後に松井氏は「(甲子園敗退後の)20何年間があったからこそ、こういう形になれたんじゃないか。あの試合を経験して、あそこに関わった人間たちが、その試合を経て、いろいろな方面で活躍している。あの試合があったからこそと思えるんじゃないかと、僕自身は思っています」と語った。

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