死期を悟っていたのか 希林さんとの出会いと別れ 取材記者、悼む

2018年9月17日5時0分  スポーツ報知
  • 樹木希林さん

 個性派女優として知られた樹木希林(きき・きりん、本名・内田啓子=うちだ・けいこ)さんが15日午前2時45分に都内の自宅で死去した。関係者が16日、明らかにした。75歳だった。

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 不思議な出会いと別れ。忘れもしない。希林さんとの交流が始まったのは2012年5月、東京・大泉学園の東映撮影所であった東映名誉会長、岡田茂さんをしのぶ会の日だった。会が終わり、関係者のいる部屋に移動して雑談していると、そこに希林さんが入ってきた。

 ほとんど初対面だったが、新作映画絡みでインタビューを断られた直後。多少不満を感じていたので、その理由を確かめるクレームから会話は始まった。しかし話をよく聞くと、取材依頼が本人まで届いていなかったことが判明した。

 「ねえ、あなたこの後、時間空いてるの?」そういうと、私の腕をぎゅっとつかみ、「ちょっと付き合って。ずっと我慢してたのよ~」と駆け足で化粧室前へ向かった。「あなたはそっち(女子トイレ)、私はこっち」と言うと、目にも止まらぬ早さで希林さんは男子トイレに入り、すっきりした顔で出てきた。「珍しくないのよ。全然平気だから」とこちらをあぜんさせた。

 クレームのつぐないと思ったのかその日、日が暮れるまでドライブをして喫茶店にも入った。初対面から一転。4、5時間も一緒に過ごすことになろうとは。青山葬儀所前の喫茶ウエストで一皿のホットケーキを分け合って食べた。気がつくと希林さんに聞かれるまま、自分の素性をしゃべっていた。どっちが記者なのか分からなかった。

 この日以降、会ってはご飯を食べ、ワインを飲み、着信を残せば必ず返信がきた。話は尽きず1時間をこえ、携帯電話は熱くなっていた。留守電が入っているときは、器用に時間いっぱいメッセージが録音されていた。作品や俳優を語るときの視点は厳しく、激しく、辛辣(しんらつ)そのものだった。

 しかしなぜか、記者に口酸っぱくして言ったのは「無理に結婚しなくていいのよ。でもいい人(男性)は絶対に持ちなさい。でないとホルモン的に健康を保てなくなるから」だった。そして「もしがんになったら必ず言いなさい。(治療先を)紹介してあげるから」とも。

 今年5月19日。同じ文学座育ちの山崎努との初共演を喜んでいた映画「モリのいる場所」の初日。公私に親しかった西城秀樹さんのコメントが欲しかったので追いかけることにした。孫に支えられ、階段をゆっくり上がる希林さんが目に入った。背中に自分の手が触れた。かなり痩せているのが分かった。5分間、ずっと肩で息をしながらの受け答え。申し訳ないことをしたと反省している。

 4月には座った状態なのに「一瞬、気絶した」と転倒して床に頭をぶつけ、おでこに大きなこぶをつくってイベントに現れたことがあった。あり得ないケガでは? と指摘すると「死ぬとか、あの世はよく分からない。でもいま私の体で理解できないようなことが起きてるのよね」と返ってきた。

 希林さんと道を歩くとき、けっこう強い力で二の腕をつかまれて移動するのが定番だった。その歩みが、少しずつ遅くなっていくのが気になっていた。4月下旬、渋谷・Bunkamuraから渋谷駅前のスクランブル交差点までゆっくり歩き、赤信号を一緒に待った。帽子を目深に被り、女優オーラを消しているので誰も気づかない。

 「おばあさんになっても、ある程度、身ぎれいにしとかないとね」行きつけの美容院が目的地だった。必ずあった返信の連絡は、もう2度と来ない。病床で、自分の回復を信じる一方、心のどこかで同時に死期のようなものも悟っていたのだろうか…。(編集委員・内野 小百美)

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