「少年野球中止じゃなければジャニーズ誕生なかった」グループ名つけた初代メンバー・あおい輝彦

スポーツ報知
あおい輝彦

 ジャニーズ事務所第1号アイドルで1967年に解散した「ジャニーズ」の軌跡をたどった舞台「ジャニーズ伝説2018」が、7日に東京・日生劇場で開幕する。66年の米留学中にレコーディングした「Never My Love」は、翌年にリリース権を譲った米グループ「アソシエイション」が歌い、全米1位を獲得した。舞台は、その幻の全米デビュー曲にまつわる秘話を中心に、5人組「A.B.C―Z」が主演。初代ジャニーズの1人で舞台にも映像出演する、あおい輝彦(70)が当時の“伝説”を振り返った。(畑中 祐司)

 あおいが車を走らせていると、ラジオから、聞き覚えのあるメロディーが流れてきた。今から半世紀以上前。「今週の全米第1位」と紹介されたのは、あおいが米国留学中に歌っていた「Never―」だった。

 「当時、湘南に住んでいて、大船の撮影所から車で走っていたんです。どっかで聴いたことある…俺の歌じゃないか!って。うれしかった。カバーしてくれたんだ、と。あんなに愛して歌った歌が、世界で愛されている。当時の僕は芝居に夢中で、本当に嫉妬はなかった。本当にうれしかった」

 「―伝説」は13年の初演から、4度目の上演。3年ぶりに再演した昨年の公演前、当時のマネジャーでもあったジャニー喜多川氏と会話を弾ませ、新たに舞台にも盛り込まれた一幕だ。

 今や芸能界を代表する事務所の名前として知られる「ジャニーズ」は、第1号グループの名前だ。ジャニー氏が監督を務めていた少年野球のメンバー4人によって62年に結成された。

 「ある日、雨が降って練習ができなくなって映画『ウエストサイドストーリー』を見に行ったら、みんな大感激。『ああいうことがやりたい』って。野球の練習がミュージカルの練習に変わっていって、ジャニーズが生まれたんです。本当に、偶然。僕が代々木に住んでいなかったらジャニーさんとも巡り合っていないし、あの日、雨が降らなければ、この『―伝説』も生まれていなかったかもしれない。全ての偶然に感謝です」

 67年の解散まで、たった5年の活動で新ジャンルを切り開いた。デビュー当時の4人は中3~高1。子供タレントを意味する「ジャリタレ」と揶揄(やゆ)されることも多かった。

 「当時は『アイドル』という言葉もなかったし、その後もしばらくなかったんじゃないかな。女性が踊る姿は、みんな見たことがあっても、基本的に男性歌手というのは直立不動。ポップスを歌う人がステップを踏む程度。でも、『ウエスト―』に憧れて始めた『ジャニーズ』はモダンダンス。それ自体が画期的なこと」

 ジャニー氏の売り出し方が、大きな起爆剤となった。64年にレギュラー出演した日本テレビの「ホイホイ・ミュージック・スクール」。最初の1か月はバックダンサーとして“シルエット出演”だった。

 「照明をわざと暗くして、4人はシルエットでしか見えない。僕らも意味が分からなかった。でも、視聴者から『あれは誰だ』って問い合わせが殺到。話題になってから『この子たちは“ジャニーズ”です!』って。全部、ジャニーさんの演出ですよ」

 先輩のバックダンサーで経験を積むスタイルは、50年以上たった今も脈々と後輩に受け継がれている。

 「ジャニーズ」の名前は、あっという間に知れ渡ったが66年、人気絶頂のさなかに米国への留学を決意した。

 「人気は、全く望んでいなかった。少年野球の延長ですから。舞台に立っても『ギャー』って、歌は全然聴いてくれない。当時はテープを投げる習慣があって、ターンしたらひっくり返っちゃたり。一生懸命、徹夜で練習した踊りも披露できない。みんな、これでいいのかと思って、初心に戻って本場のミュージカルの勉強に行こうと。『ウエスト―』を生んだ米国に」

 渡米中は英語を習い、踊りと歌のレッスンを徹底的に、オリジナル13曲をレコーディングし、バリアント・レコードから発売。米ABCテレビ「ハリウッド・パレス」からしつこいほどの出演交渉を受け、現地でも注目を集める存在になった。だが、レッスンを重ねていくうち、4人それぞれの個性、興味が明確になり、留学が逆に解散の決め手にもなった。

 「ダンスが得意な2人と、歌に興味がある僕と(中谷)良ちゃんと二手に分かれるようになった。これはもう4人で足並みそろえて今後やっていっていいのかなと。成人の頃で独立心もあった。今まで総合病院だったのが、それぞれ専門医になっていくような感じでしたね。当時マルチタレントというのもなかったですし」

 今振り返っても、当時の決断に「後悔はない」という。最近まで自分でも知らなかったというが「ジャニーズ」と命名したのは、あおいだったという。野球チームは当初「エラーズ」「ヘターズ」だった。「いつまでもエラーズじゃ格好悪い。ジャニーさんが監督なんだし、ジャニーズでいいじゃん」と提案したのだという。

 今、後輩たちは「ジャニーズタレント」と呼ばれる。自らのグループ名が、いまだに色あせることなく輝きを放っている。数々の後輩たちの活躍に、あおいは目尻を下げる。

 「母校が毎年、甲子園ですごい活躍をしてくれているような感覚。ジャニーズは、今や宇宙からでも識別可能なぐらいの立派な巨木。その最初の種に、苗木ぐらいになれたことは誇りです」

 ◆あおい 輝彦(あおい・てるひこ=本名・青井輝彦)1948年1月10日、東京・渋谷区生まれ。70歳。小学校6年で野球チーム「ジャニーズ」に加入。62年4月に4人組グループ結成。67年解散。70年、テレビアニメ「あしたのジョー」の矢吹丈の声を担当。76年「あなただけを」でNHK紅白歌合戦出場。映画「犬神家の一族」など出演作多数。88年から12年間、TBS系「水戸黄門」で三代目“助さん”を務めた。

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