広瀬章人八段“覚醒の瞬間” 深浦九段との耐久戦で思い出した「将棋は最終盤」

スポーツ報知
第1局の終局後、感想戦に臨む挑戦者・広瀬章人八段と羽生善治竜王(右)

 棋界最高位を争う第31期竜王戦7番勝負が11、12日の第1局で開幕し、防衛を目指す羽生善治竜王(48)が先勝した。羽生は勝つと前人未到のタイトル通算100期に達し、敗れれば27年ぶりの無冠となる。最強の挑戦者として初の竜王奪取を期すのは広瀬章人八段(31)。開幕前のインタビューでは「新しい自分」と出会った一局について語ってくれた。

 いつも冷静沈着な広瀬らしい一瞬だった。

 11、12日に東京都渋谷区のセルリアンタワー能楽堂で行われた開幕局。激闘の末、羽生に敗れた挑戦者は、終局直後の取材で「内容的には良い勝負ができたので、第2局もこの調子で…」と語った瞬間、小さく苦笑した。敗れて「この調子で」と語るのも変かな…と思い直したような表情で、「次も頑張ります」と言い換えた。

 いよいよ開幕した竜王戦7番勝負。羽生は防衛すればタイトル通算100期の金字塔を打ち立てるが、その一方で、敗れれば1991年に棋王を獲得してから実に27年も守り続けたタイトル保持者の地位から陥落、無冠となる。羽生が勝っても負けても、将棋史において大きな意味を持つシリーズとなった。

 2010年に初タイトルとなる王位を獲得。史上初の現役大学生タイトルホルダーとなった広瀬は、誰もが認める実力者だ。8大タイトルを7人で分け合う群雄割拠の現在の将棋界。その一角を占めてない現状に奮起の思いを隠さない…かと思いきや…。「いや…無理やりにでも割って入ろう、といったような感情はないんです。自分はガツガツしてないんです…。見る側としてタイトルホルダーが7人いるなんて面白いなあ、なんて思ってるくらいなので」。常に穏やか。不思議な魅力を放つ勝負師である。

 シリーズ開幕前の20戦で17勝3敗と勝ちまくって挑戦者に躍り出た。17の白星の中には、羽生との前哨戦を飾った2勝の他に、棋士として新しい領域に足を踏み入れた一局がある。

 8月27日、深浦康市九段(46)との竜王挑戦者決定3番勝負第2局。初戦に完敗した広瀬は2局目も劣勢のまま終盤を迎えたが、執念の耐久戦を展開した。「自分はすぐ悲観して、ダメだろうな、逆転は難しいかな、と思ってしまうタイプなんですけど、さすがに挑戦権が懸かっていたので、まだ諦めるには早いと思ったんです」。将棋界随一の粘りと根性で知られる深浦と演じた231手に及ぶ死闘の末、勝利した。「ただの一勝じゃなかったです。ファンの皆さんも、手数が長くなれば深浦さんの土俵になると思ったはずなので、今までとは違う新しい自分の一面をお見せすることができた気がします」

 新たな地平に達し、脳裏をよぎったのは原点の記憶だ。「子供の頃のことを思い出したんです。小さい時、僕は逆転勝ちでしか勝てないような終盤一発型でした。あの頃、道場で『将棋は最終盤』って教わったなあって。あの一局に勝って、流れは変わったと思いました」。そして、第3局は完勝した。

 挑む竜王は将棋界の象徴である第一人者。「自分が生まれた時にはデビューしていて、将棋を始めた頃にはタイトルを持っていた人。ただただ尊敬していました」。広瀬にとって羽生は、自信をもらい、屈辱を教わり、変化の契機を与えた棋士でもある。初対戦は2010年の王位戦挑戦者決定戦。「思いっ切り指すことだけ心がけたら、勝つことができて…」。勢いのままに初タイトルへと駆け上がった。

 翌11年の王位戦7番勝負では、挑戦者となった羽生とフルセットの激闘を演じた末、失冠した。「負けた後、関係者の方々との打ち上げで普通に過ごしていたんですけど、部屋に戻って1人きりになって…泣いてしまいました。負けて泣くのは小さい頃以来でした」。今も、あの夜のことは忘れない。

 さらに翌12年の朝日杯決勝では、得意としていた戦型「振り飛車穴熊」で完敗した。「あの時、もう振り穴だけで戦うのは限界だと思ったんです」。本格居飛車党へ棋風改造に着手し、順位戦でA級昇級など実績を積み重ねてきた。節目には、いつも羽生の存在があった。

 一昨年暮れ、同い年の一般女性と結婚した。今は、守るべき人がいる。「自分はおとなしい方ですが、妻は明るいので家庭は明るいです(笑い)。一緒に居て楽しいですね。家の中のことをやってくれるので研究時間が増えた気がしますし、良い影響を与えてくれています」。ビハインドで始まった7番勝負。静かなる男には、前よりもっと勝ちたい理由がある。

(北野 新太)

 ◆広瀬 章人(ひろせ・あきひと)1987年1月18日、東京都生まれ。31歳。勝浦修九段門下。札幌市在住だった小学6年時に棋士養成機関「奨励会」入会。高3時に四段(棋士)昇段。2009年、新人王。早大教育学部数学科在籍時の10年、初タイトルの王位を獲得。12年まで「振り飛車穴熊」を武器に活躍し「振り穴王子」のニックネームも。順位戦A級。連載中の漫画「将棋めし」の監修を担当。

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