寺尾聰、旭日小綬章に喜び「かっこいいジジイになりたい」

スポーツ報知
寺尾聰「71年間トータルで頂いた」

 政府は3日付で2018年秋の叙勲受章者を発表し、旭日小綬章は俳優・寺尾聰(71)らが受章した。

 寺尾に吉報が届いたのは1か月ほど前。「とてもうれしい。『1か月間、ご家族以外には口外しないで下さい』と言われ、苦しかった」と冗談めかし喜んだ。08年4月には、父で俳優の宇野重吉さんと父子2代で紫綬褒章を受章。「今まで、いろいろな仕事をしてきて、褒めていただいたことは何度かあるんですけど、今回は71年間生きてきて、トータルしたものでいただいた感じ」

 1968年、石原軍団の有望な若手として、石原裕次郎製作・主演の映画「黒部の太陽」で俳優デビュー。テレビドラマ「大都会」、「西部警察」などにも出演し、人気俳優に。「10代の頃、父から石原プロに預けられた。裕次郎さんは、僕が俳優としてスタートする入り口。撮影部があったり、録音部があったり、各部屋をのぞきながら、いろいろなことを覚えたのが、俳優として生きている礎のひとつになっている」

 80年代半ばから黒澤明監督がメガホンをとった「乱」「夢」「まあだだよ」に出演。「晩年の黒澤明という人に出会えたことは僕の誇り」。00年、同じ黒澤門下で「兄弟子」と慕う小泉堯史監督の下、黒澤監督の遺稿を映画化した「雨あがる」で主演し、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞。「また寺尾と小泉のコンビで映画を作りたい」と思いを明かした。03年に公開された「半落ち」でも同賞を受賞した。

 2週間ほど前、母が住む実家に行き、88年に肺がんで亡くなった重吉さんに受章の報告を済ませた。81年、自身が作曲した「ルビーの指環」で日本レコード大賞を受賞し、NHK紅白歌合戦に出演した翌日の元旦に訪れたことに触れ、「父は新聞見ながら顔も見ずに『ふ~ん』とだけ。でも死んだ後に、周囲から父が喜んでいたと聞いた」と振り返り、「今回も『よかったんじゃない』と言ってくれていると思う」。

 俳優の師匠でもあった父について、「僕(の芝居)は100%、宇野重吉から教わったもの。外に出て新しく教わったものはありません。子供のうちから父が話していることを見聞きして、育ってきたことが僕の原点。たまたま芝居の神様である人が、父親だった。近くに居すぎたために、素通りにしてきてしまい、もったいなかったという気持ちは今でもある。今日あるのは、この人のおかげ」と敬意を込めた。

 現在、ミュージシャンとして、横浜の赤レンガ倉庫などでライブ活動も精力的に行っている。ライブでは洋楽のカバーを中心に披露しているといい、「ベースを弾きながら歌うのが、難しくて面白い。今、ポール・マッカートニーが来ていて、見に行きたくて仕方ない」。これまでに作曲して未公開の曲もたくさんあるそうで、「チャンスがあったら、寺尾サウンドをまた出したい。芝居も音楽も見てくれた人、聞いてくれた人の心に残るものを作っていきたい」。

 背筋をピンと伸ばし、スーツが似合うスマートな立ち姿。「リタイヤする71歳でも現役でやってる、かっこいいヤツらはいっぱいいる」と、周囲の同級生らの生き方に刺激を受ける日々だ。「かっこいいジジイになりたい。真剣に生きる男を演じること。そういう作品に出会えたらうれしい」と笑った。

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