飯豊まりえ、「劇場版シティーハンター」で声優初挑戦「親孝行もできてダブルでうれしい」

スポーツ報知
出演映画の見どころを語った飯豊まりえ

 女優の飯豊まりえ(21)が声優として参加した「劇場版シティーハンター 新宿PRIVATE EYES」が8日に公開された。声優になる夢を母親が大好きな作品でかなえられたそうで「親孝行もできてダブルでうれしいです」と笑顔を見せた。15日には映画「トラさん 僕が猫になったワケ」の公開も控えているが「大事なモノを再発見できる作品で、見終わった後に人格が変わります」とも。小学生からモデルを始め、芸歴は10年を超える。「女優を軸にモデル、声優、バラエティーとジャンルにこだわらずにやりたい」―。熱い思いの裏には常に両親の存在があるようだ。

 「シティーハンター」では冴羽□(□はケモノヘンに「寮」からウカンムリを外したもの、声・神谷明)にボディーガードを依頼する女子大生モデルの声を担当しているが、初めての挑戦に戸惑いもあったそうだ。

 「本格的なアニメは初めてでした。既にアニメーションがあってそこに声を吹き込むのかなと思っていましたが、映像がなくて絵コンテの段階で声をあてたので難しかったんです。神谷さんに相談したら『後で自分がやった通りに画(え)を作ってくれる時もあるから、僕的にはラッキーと思うようにしている』と。それで気が楽になりました。私はテクニックもないし、キャラクターの性格やバックボーンを考えて、自分の声よりも大人っぽくて芯が強い女子のような声を意識してアフレコに臨みました」

 アニメは子供の頃からずっと見ていたそうで、母親の好きなアニメも相当数、目を通していたという。

 「小学6年間は帰宅したら決まってアニマックスかディズニー・チャンネルで、ジブリ作品も全部見ています。アニメオタクまでではないですが人並み以上は見ているな~という感じですね。母が見ていた『うる星やつら』とか『キャンディ・キャンディ』『ドラゴンボール』とかも全部見ていました。『シティーハンター』は母が大ファンなので今回は親孝行になりましたが、まさか声優さんをやれるとは思っていませんでした」

 -声優は夢だった。

 「私、宮崎駿監督と同じ誕生日で『いつか声優でジブリに出たい』と漠然とは思っていました。で、『あなたは今幸せですか?』(16年)という番組のナレーションをしたときに思ったんです。お芝居での役は自分じゃないし、モデルもまず洋服のテイストとか出るけど、ナレーションって自分の声だけでできるお仕事で魅力的だなと。明確になったのは昨年5月に人気声優の梶裕貴さんと『私の頭の中の消しゴム』という朗読劇でご一緒してからです。2時間2人でしゃべりっぱなしで普段、動作や表情があってお芝居している私には難しかったですね。そこで梶さんのアプローチの仕方が全然違っていて『もし声優さんたちがお芝居を始めたら、私たちの出番がなくなるな』って危機感も芽生えて、絶対声優さんやりたいと思いました」

 「トラさん―」では家族を残して死にながら猫の姿で戻ってくる主人公(北山宏光)の相談相手となる猫・ホワイテストを演じている。

 「私、全編猫スーツで出ています。知り合いには『泣ける作品なんで見てください』と言ったら『飯豊ちゃんの猫がおかしすぎて泣けないわ』って突っ込まれました(笑い)。でも、猫スーツが気にならないくらい入り込める作品なんです。見終わったら人格変わりますよ。大事なモノ、見えていないものに気付かせてくれます。今回、特別な思いもあったんです。私、16年間飼っていた猫が2年前に亡くなっちゃったんです。しかも真っ白なペルシャ猫で、自分が頂いたホワイテストも真っ白で『本当に猫の恩返しが来た』って思いました。その猫はペットショップで売れ残っていて、飼い主さんが見つからなかったら保健所に行ってしまう子だったんです。私が2歳のときにやってきて一緒に成長したので不思議な縁を感じました」

 10歳でモデルの活動を始めたが、芸能界入りは両親の存在が大きかったようだ。

 「きっかけは親孝行です。ただ雑誌に出て家族を喜ばせたいと思っていただけで、こんなに続くとは…です。私一人っ子で父の趣味のゴルフとか公文式や英会話や水泳とかいろいろ習い事をしていました。その中で何か将来、人に教えたりプロになれたら家族が喜ぶな~と考えていましたが、それってかなり時間がかかるじゃないですか。ある時に母が読んでいた『CanCam』が目に入った瞬間、『私が芸能界に入れば自分も変われて家族を明るくできるのでは』と思いました。確かに私も『花より男子』を見ていたときに『井上真央さんみたいな女性になりたい』と思ったし、やっぱり人に影響を与えるのは芸能界かなと改めて認識しました」

 ―スタートはモデルだったが。

 「たまたまダンスレッスンをしていた時、エイベックスとファッション誌合同のオーディションがあって応募しました。その前にNHK『天才てれびくん』を受けて落ちたときに審査の方に『モデルをやった方がいい』と言われていたんですよね。そのときは『えっ、モデル?』と思っていましたが…。実は両親とは『後戻りできるように(芸能界に挑戦するのは)1年ね』と約束していて、地元の駅で母に『これが最後ね』って送り出されたのがこのオーディションでした。今は何千人の応募ですが、私の時はラッキーにも800人くらいで低い倍率。あのときに踏み込んでいて良かったです」

 芸能界に身を置くことで苦労もあったが、後悔はないという。さらに、舞台に立ってモデル業に加えて芝居の魅力を感じたそうだ。

 「学校に行けないとか、みんなと同じ行事に参加できないとか。いじめじゃないですけど、いろんな目で見られるのはありました。でも、もともと嫌々始めたワケじゃない。親や友達に書類を送られたんじゃなくて自分の意思でやっていたので一回もやめたいと思ったことはないです。小6のときに小さい舞台に出て初めてお芝居をしました。すごく楽しくて『終わってほしくない』って号泣したんですよ。それまで人見知りの自分が変わった瞬間でした。その頃に父が『女優さんになってほしい』と言っているのを聞いて『これはやらなきゃいけない』と思いました。一人っ子なので究極の恩返しは親孝行と思っています」

 今秋には舞台にも挑戦する。デビュー以来、活躍の場を広げているが、自分の立ち位置は見失ってはいない。

 「まだ台本を頂いていないので…。生で私を見てもらえる機会は初めてなので全力で向き合うのみです。今後も女優を軸にしてモデルや声優さんに加えて今、朝のバラエティー番組にも挑戦させてもらっています。何でもいいから自分が笑顔で楽しめている姿を届けて、そんな私を見て幸せになってもらえたら最高です」

 人を疑うことなく誰にでも明るく接することができる。両親の愛に包まれて育まれた笑顔で世の中を元気にしてくれそうだ。

 ◆家族と話す時に自分に戻れる

 ―リラックスできる時は。

 「いつも『今、この人は落ち込んでいるのかな』とか気にしているので、両親から『そんなんじゃ早死にしちゃうよ』って言われます。こんな性格だから、あまり気が休まってはいないんですね。やっぱり自分に戻れるのは家族と話をしている時です。今、一人暮らしですが、実家に戻るのはうれしいし、帰らなくてもテレビ電話はよくしてます。『今日、笑顔で頑張ってます』とか『今日はこういうことで悩んでいます』とか。母親はこうしたら私が頑張れるとか、私のスイッチの入れ方を知っているので甘えています。昔から母の言ったことは絶対なんです。今でも『(仕事を)やめてほしい』と言われればやめるべきだと思っています。でも、母は自分ができなかったことを私にやってほしいと望んでいると思うので続けられています。父とも仲いいですよ。20歳の誕生日の時に2人で旅行に行きました」(ペン・国分 敦、カメラ・頓所 美代子)

 ◆飯豊 まりえ(いいとよ・まりえ)本名・飯豊万理江。1998年1月5日、千葉県生まれ。21歳。2008年、雑誌「ニコ☆プチ」でモデルデビュー。その後、雑誌「ニコラ」「Seventeen」のモデルを務め、現在は「Oggi」の専属。ドラマ「獣電戦隊キョウリュウジャー」やNHK朝の連ドラ「まれ」などで女優としても活躍。16年日本テレビ系「MARS(マース)~ただ、君を愛してる~」ではヒロインを演じ映画化もされた。現在、フジテレビ系「にじいろジーン」にレギュラー出演中。身長167センチ、血液型B。

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