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19年ぶりに見た世界のキタノの涙…大杉漣さんはやはり「家族」だった

2018年2月25日13時0分  スポーツ報知
  • 「たけし泣き崩れる」と母・さきさんの通夜の様子を報じた99年8月25日の「スポーツ報知」芸能面

 テレビ画面ごしに見る「世界のキタノ」の涙。右手の甲で何度も目元をこする仕草が19年前の雷雨の夜を思い出させた。

 急性心不全のため21日に急逝した俳優・大杉漣さん(享年66)の出世作となった映画「ソナチネ」(93年)、「HANA―BI」(98年)などでメガホンをとった北野武監督(ビートたけし、71)が24日夜、進行役を務めるTBS系「新・情報7daysニュースキャスター」(土曜・後10時)に生出演。盟友・大杉さんの死後、初めてその心境を語って話題になった。

 番組では、昨年10月の同局系「ぴったんこカン・カン」での2人の共演の様子を丁寧に振り返っていた。「売れない頃、この曲が心の支えでした」と明かした大杉さんのギター伴奏に乗せ、北野監督が自身作詞、作曲の名曲「浅草キッド」を歌うVTRが流れると、ワイプ映像で抜かれた北野監督は何度も手の甲で目元をこすっていた。

 VTR後、同局の安住紳一郎アナウンサー(44)に「寂しいですね」と話しかけられると、北野監督は「…うん」と一言。完全に涙声だった。

 「ソナチネ」のオーディションに1時間遅刻したにも関わらず合格。以来、昨年公開の「アウトレイジ 最終章」まで10本の北野作品に出演。北野映画での名演によって生かされ、トップ俳優まで上り詰めた大杉さんを北野監督は「(映画で)俺が生かして、俺が死なせたみたいな感じ。申し訳ないなと思ってさ」と、独特の言葉で哀悼した。

 その言葉の意味は自身の映画によって、ここまでの人気俳優にしなければ、大杉さんが多忙な撮影スケジュールの中、急死することもなかったのではという独特の思いがあった気がする。「HANA―BI」でのベネチア映画祭最高賞・レオーネドール(金獅子賞)受賞時から映画担当記者、特に北野番として密着させてもらった私は、北野監督はそういう考え方をする人だと思う。

 そして気づいた。24日の「ニュースキャスター」での涙が北野監督にとって、公衆の面前で見せる「あの時」以来、2度目の泣き顔だったということに。

 あの時…。99年8月24日の午後7時半、私は喪服に身を包んだ北野監督の右隣にいた。「俺は世界一のマザコンだからよ」と常々口にしてきた最愛の母・さきさん(享年95)の通夜が東京・葛飾区の蓮昌寺で営まれた。通夜終了後、憔悴し切った様子の北野監督は激しい雷雨の中、テントの下で待ちかまえた取材陣の質問に答えたのだった。

 「本当にたけしさんのことだけを考えて生きてくれたお母さんでしたよね?」―。そう質問したのは、16年に死去した芸能リポーター・武藤まき子さんだったと思う。

 それまで淡々と質問に答えていた監督は「俺の見ていた母親はいつも働いていて、いつも泣いていた親だったからさ…。感謝してる」そう絞り出したとたん、「うう~…」と泣き出すと、雨でぐちゃぐちゃの地面にガックリとヒザをつきそうになった。

 左隣にいた東京スポーツの北野番記者がその肩を支えた。私も手を差し出そうとしたが、監督への敬愛の念が強すぎたのか、一瞬、その体に直接、触れることがためらわれた。わずか数センチの距離にいながら、崩れ落ちる、その体を見つめることしかできなかったことを鮮明に覚えている。

 その後も北野監督のそばで感動の瞬間には何度も立ち合った。99年のカンヌ映画祭コンペ部門に出品された「菊次郎の夏」の上映後、観客から10分以上のスタンディングオベーションを受けた時。2000年のベネチア映画祭に特別招待された「BROTHER」が、やはり満場の観客からの拍手喝采を浴びた時。その時々で北野監督は目元をこすり、泣いているようにも見えた。

 しかし、「泣いていましたか?」と聞いても、いつも答えは「(94年の)バイク事故の後遺症でドライアイだからよ。目薬が欠かせねえんだよ。それだけだよ」―。そう、はぐらかされてきた。

 照れ屋でかっこつけの浅草育ち。人前で涙を流すなんて恥ずかしいこと。あくまで「泣いてねえよ」と、ごまかす北野監督が涙を抑えきれなかった場面を大杉さんの死から3日後に放送された「ニュースキャスター」のテレビ画面ごしに19年ぶりに見た。

 「早いよね…。同じような人が世界中にいっぱいいるからしょうがないのだけど、やっぱり人間っていうのは自分の近い人の死とかは堪えるね。父親とか母親とか死ぬのこたえるのと同じように」―。淡々と話した北野監督。その姿、そして2度目の涙を目にして「ああ、北野監督にとって、大杉さんは家族同然の存在だったんだ」。そう気づいた。その後、最高の伴走者を失った「世界のキタノ」の喪失感の深さを思って、さらに悲しくなった。(記者コラム・中村 健吾)

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