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桂歌丸さん、こだわった日本語と「笑点」への思い…告別式に参列して

2018年7月12日11時30分  スポーツ報知
  • 横浜の海をイメージして作られた歌丸さんの祭壇
  • 横浜にぎわい座の楽屋でネタ帳を眺める桂歌丸さん(2017年10月撮影)
  • 告別式で祭壇に飾られた歌丸さんの遺影

 2日に慢性閉塞性肺疾患のために亡くなった落語家・桂歌丸さん(享年81)の告別式が11日、横浜・妙蓮寺で営まれ、元演芸担当記者として参列して最後のお別れをしてきました。今にも張りのある声が聞こえてきそうな高座姿の遺影と、横浜の海をイメージした祭壇に歌丸さんとの思い出が次々とよみがえった。

 花を並べて横浜の海=波を表現する祭壇に、歌丸さんとの会話を思い出した。2008年の「博多・天神落語まつり」。楽屋で東京から福岡への飛行機が強風で揺れた話題になった時だった。「歌丸会長の飛行機は大丈夫でしたか?」。私の何気ない質問に歌丸さんは「(飛行機の)窓から見ていたら(海で)うさぎが跳ねていましたね」。何のことだか分からずポカンとしていた私に、隣にいた円楽(当時は楽太郎)さんが「白波が立っていましたね」とさりげなく意味を説明してくれた。粋な言葉づかいと表現に関心するとともに、2人の自然な掛け合いを聞いて、心地よかったことを覚えている。

 きれいで美しい日本語を使うことにこだわっていた。歌丸さんの落語での登場人物は「ありがとう存じます」と口にした。あの風貌ながらと言っては失礼になるが、特に女性を演じるしぐさと口調には、グッと引き込まれてしまう。はっきりとして、そして心地よい口跡で、頭の中で登場人物が生き生きと躍動し、情景がスーッと浮かぶ体験をした。

 売れっ子になっても、偉ぶったりすることは一切なかった。恩人は?と聞いたことがある。歌丸さんは、5代目・古今亭今輔さん、桂米丸さんと師事した両師匠の名前とともに、立川談志さんの名前を出した。米丸門下に移った直後は、テレビ、ラジオで活躍する米丸師匠に付いて、番組の原稿を執筆する構成作家のような役割をやっていたという。歌丸さんは新作落語から古典落語に転向し、埋もれていた落語を掘り起こす一方で、時代に合わせてサゲを変えた噺も多い。その経験がクスグリや、噺の再構築に生きたという。談志さんについては「私を『笑点』に入れてくれた人ですから…」。同年代にもかかわらず恩人と言ってはばからない潔さがあった。お金がなく家賃が払えない後輩に、「噺を教えて下さい」と噺を教わりそのお礼にお金を渡すなど、優しいエピソードにあふれている。

 歌丸さんの代名詞とも言える「笑点」について聞いたことがあった。5代目・三遊亭円楽さんから司会の座を引き継いだ時だった。「視聴率は気になりますか?」野暮な質問と思いながら聞いたことがある。歌丸さんは「あまり気にしませんね。でも視聴率がいいといいことがあるんですよ。分かりますか」と逆に質問した。ボーナスでもあるのかな?と変な考えを浮かべる私に歌丸さんは「視聴率がいいということは、番組を変えなくていいということなんです。悪くなると色々言われることもありますから。今までのように変えずにやっていくことが一番いいんです」と語ってくれた。

 告別式で、友人代表として歌舞伎俳優・中村吉右衛門さんがあいさつし、感極まる場面にもこちらもグッときた。歌丸さんは吉右衛門さんが大好きだった。パリ公演の楽屋に吉右衛門さんが訪問してくれたことなどを、後日、うれしそうに語ってくれた。昨年には雑誌で対談した。「吉右衛門さんじゃなかったら断ろうと思っていたんです」。相思相愛の恋人を語るような初々しさがあった。

 高座での凜としたたたずまいはもちろん、楽屋でのしぐさも格好良かった。崎陽軒の炒飯弁当を手にして「これで今日の晩ご飯が手に入った」と大事そうにしまう行動。ふらっと高座脇に来て、前座の仕事である太鼓をうれしそうにたたく姿。冗談を言った一瞬後にニヤッと笑う顔…。すべてが目に焼き付いているが、一番記憶に残っているのが、高座に上がる前に、鏡の前でくしを当てて髪を整える姿だった。とにかく格好良かった。

 常々言っていたことがある。「目をつぶる瞬間に楽になりたいから、それまで苦しい思いをするんです」。文字通り落語に一生をささげた歌丸さん、もう会えないのはとても寂しいけれど、みんなの記憶の中にはずっと生き続ると思う。歌丸会長、本当にありがとうございました…。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

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