ジャイアント馬場さん夫人・元子さんが死去「王者の魂」守った全日本プロレスの“おかみさん”

2018年4月24日6時0分  スポーツ報知
  • 「王道」旗揚げ戦でジャイアント馬場さんの等身大像の隣に立ち満面の笑みを見せる馬場元子さん(2016年4月)
  • レイを手に笑顔の元子さんとジャイアント馬場さん(1971年)

 プロレスラー、ジャイアント馬場さん(享年61)の夫人で元全日本プロレス社長の馬場元子(ばば・もとこ)さんが14日に肝硬変のため亡くなっていたことを23日、全日本プロレスが発表した。78歳だった。19日に通夜、20日に告別式が親族のみで執り行われたという。元子さんは、馬場さんがプロ野球(巨人、大洋)の投手時代から支え、馬場さんが1972年に創設した全日本プロレスの“おかみさん”として内助の功に努めた。全日本プロレスでは25日の東京・後楽園ホール大会で追悼式を検討している。

 関係者によると元子さんは昨年に体調を崩し、都内の施設で過ごしていたという。この日、全日本プロレス社長の秋山準(48)が公式ツイッターで元子さんの死去を報告した。

 2人の出会いは馬場さんが巨人投手時代の1955年。元子さんの故郷である兵庫・明石市でのキャンプ時に、千葉茂さん(当時巨人内野手)に誘われて行った食事がきっかけで交際が始まったという。馬場さんのプロレス転向後は、米国遠征にも同行。日本プロレスの後輩で、米国が主戦場だったザ・グレート・カブキ(69)は、馬場さんに寄り添う元子さんの姿が印象的だったそうで「馬場さんの横だと小さく見えますが、当時の日本人女性としては背が高くて、きれいな方でした」と振り返った。

 2人は71年に挙式したが婚姻届は出さず「事実婚生活」を続けた。82年に婚姻届を提出し、結婚を公表。アントニオ猪木氏(現参院議員)の新日本プロレスとの興行戦争が激化する中、元子さんは、シビアなビジネスの世界で「ミセス・ババ」として活躍した。馬場さんを試合の合間にグッズ売り場に座らせてTシャツにサインを入れるサービスも元子さんの発案。このスタイルは全日本だけでなく、各団体に受け継がれている。

 99年の馬場さんの死後は三沢光晴さん(09年死去、享年46)が社長を引き継いだが、2000年に三沢さんが選手を引き連れてプロレスリング・ノアを旗揚げ。元子さんは全日本のオーナーとして、新日本から武藤敬司(55)を社長に招き、離脱していた天龍源一郎(68)を呼び戻すなど、なりふり構わず馬場さんの「王者の魂」を守った。

 最近、公の場に姿を見せたのは16年4月20日、元横綱・曙(48)の新団体「王道」の旗揚げ戦(後楽園ホール)。馬場さんのイメージカラーである赤のジャケットを着て気丈に振る舞っていたが、記者の質問にも「耳が遠くなって何を言ってるかよくわからないのよ」と苦笑していた。今後は、全日本の後楽園大会で元子さんをしのぶ10カウントゴングが計画されている。

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