新日プロ、後楽園ホール大会でマサ斎藤さん追悼テンカウント…坂口征二氏「寂しい…」

2018年7月19日18時49分  スポーツ報知
  • マサ斎藤さんの思い出を語る坂口征二・新日本プロレス相談役(左)とタイガー服部レフェリー

 ◆新日本プロレス「G1クライマックス28」大会(19日、東京・後楽園ホール)

 この日の試合前、14日に死去したアントニオ猪木との死闘「巌流島の戦い」などで伝説を築いたプロレスラー・マサ斎藤(本名・斎藤昌典=さいとう・まさのり)さんの追悼テンカウントが行われた。

 明大の同級生でもあった新日の坂口征二相談役(76)と明大レスリング部の3年後輩のタイガー服部レフェリー(72)の2人がリング上にマサさんの遺影を持って登壇。棚橋弘至(41)、真壁刀義(45)始め、この日の出場全レスラーがリング下で見守る中、テンカウントが打たれた。

 セレモニー後、坂口相談役は「俺は柔道部だったけど、マサさんが日本プロレスに入るってなって、(体育会系)みんなで送別会やって。まさか、俺がその3年後に入るとは思わなかったけど」と静かに語り出すと、「30何年の付き合いになった。猪木さんとはいい試合してくれたし、引退してからも外人の係やってくれて。親分肌で本当にいい人だった」と続けた。

 服部レフェリーも「僕が明大レスリング部1年の時にマサさんが4年。神様みたいな存在だった」と振り返った後、「120%レスラーだった。実直というか、まっすぐだから」と続けた。

 坂口相談役は最後に「何回も試合やったし、2人でガンガンやり合った。巌流島も良くやったなと思うし、また一人、昭和のレスラー、仲間が去って寂しいですね」と最後につぶやいた。

 斎藤さんは00年にパーキンソン病を発症し、リハビリに励んでいたが、事務所によると、14日未明に容体が急変した。通夜・告別式は家族・関係者で都内で行う予定としている。

 斎藤さんは64年の東京五輪でレスリング・フリースタイルヘビー級の日本代表として出場し、65年に日本プロレスに入門。180センチ、120キロの鍛え抜いた肉体で相手にぶつかっていくスタイルで活躍し、68年からは米国にも進出。ヒール(悪役)として活躍した。帰国後は新日本プロレスを経て、長州力の維新軍に合流し、ジャパンプロレスに参加するなどした。

 87年10月4日にアントニオ猪木を相手にルールなし、レフェリーなし、観客なしの時間無制限で戦った「巌流島の戦い」も有名。激しい流血戦で、照明代わりのかがり火に両者がたたきつけ合った死闘は2時間5分14秒、猪木の「裸絞め」で斎藤さんが失神。TKO負けとなったが、昭和プロレスを代表する名勝負として語り継がれている。(中村 健吾)

 ◆マサ 斎藤(まさ・さいとう)本名・斎藤昌典(まさのり)。1942年8月7日、東京都生まれ。明大在学中の63年、レスリング日本選手権で2冠となり64年の東京五輪にフリースタイルのヘビー級で出場。65年6月に日本プロレスでデビュー。68年に渡米し、当時のAWAなどで活躍。74年以降は定期的に新日本プロレスに参戦。87年10月、アントニオ猪木との「巌流島の戦い」以降は日本に拠点を移し、99年2月、日本武道館でのスコット・ノートン戦で引退した。

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