マサ斎藤さん死去で“日本初ヒールユニット”狼軍団が全滅、いやホーガンがいた…金曜8時のプロレスコラム

スポーツ報知
狼軍団出身だったハルク・ホーガン

 “獄門鬼”マサ斎藤(本名・斎藤昌典)さんが14日に亡くなったことが16日に健介オフィスから発表された。75歳だった。以下、敬称略で書かせてもらうと、マサ斎藤と言えば、アントニオ猪木との巌流島決戦(1987年10月)や、同年12月にTPG(たけしプロレス軍団)の刺客として、ビッグバン・ベイダー(6月に63歳で死去)を連れてきた参謀として、ゴールデンタイムのプロレススペシャルを盛り上げた敵役だった。

 私にとっては、ヒロ・マツダ率いる狼軍団の副将としてのイメージが強い。1978年に新日本プロレスが開催したプレ日本選手権で、狼軍団が旋風を巻き起こした。猪木が提唱した日本選手権に、全日本プロレス、国際プロレスは乗ってこず、フリーの日本人を集めたことで生まれたのが狼軍団で、ヒールユニットの元祖と言える。その後の、はぐれ国際軍団、革命軍、維新軍団、ブロンドアウトローズ、平成維震軍、nWoジャパン、魔界倶楽部、さらに今、最も勢いのあるロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンへとつながるルーツだ。

 プレ日本選手権に出場した狼たちは、ヒロ・マツダ、上田馬之助、マサ斎藤、サンダー杉山、剛竜馬。マツダが総帥で、2番手は日本プロレス入門順では馬之助だが、一匹狼ぶりが強く、明大出身で東京五輪レスリング代表のマサが副将に適任だった。

 狼軍団は、そろいの黒のジャージー姿がカッコよかった。その中で、あえて黒ジャージーを着ない馬之助のアウトローぶりも怖かった。決勝では、マツダが猪木の卍固めに敗れたが、試合後の黒ジャージーの乱闘劇は、ドキュメンタリー映画「激突!格闘技 四角いジャングル」(三協映画)にも登場している。

 マサさんに狼軍団について聞く機会はなかったが、2000年10月9日の東京ドームで新日本VS全日本の対抗戦が実現した時に話を聞いた。「対抗戦はあの頃の全日本なら考えられなかったこと。全日本が渕と川田の2人になったから実現したんですよ」夢の対抗戦を盛り上げるべき新日本の取締役としては、あおりに欠ける正直すぎるコメントだったが、過去に自身が経験してきた対抗戦への自負がうかがえた。

 狼軍団総帥のマツダさんは99年に62歳で亡くなった(今年、WWE殿堂入り)。杉山さんは2002年に62歳で、剛さんは09年に53歳で、馬之助さんは11年に71歳で鬼籍に入っている。そしてマサさんが亡くなり、プレ日本選手権に出た狼軍団は誰もいなくなった。

 馬之助さんが亡くなった時に力道山OB会から頂いたDVD「悪逆無道!極悪ヒール烈伝」(ビデオ・パック・ニッポン)を見返してみた。78年10月の“日本初ヒールユニット”狼軍団の軍団結成フロリダ特訓という映像を見ると、マツダ、斎藤のスパーリングに交じって、若き日のハルク・ホーガンが映っていた。そう言えば、ホーガンにプロレスを教えたのはマツダだった。軍団結成時にいたのだから、立派なメンバーだ。

 現在64歳のホーガンは、2003年10月13日の東京ドームでの蝶野正洋戦以来、日本では試合をしておらず、15年に人種差別発言が発覚し、WWEから解雇されている。一時は名誉回復の動きもあったが、活動再開の外電は入っていない。75歳にして、2020年東京五輪の聖火ランナーになることを目指してリハビリに励んでいたというマサ斎藤さん。“狼軍団の末弟”ホーガンの復活に期待したい。(酒井 隆之)

 ◆マサ斎藤(まさ・さいとう) 本名・斎藤昌典(まさのり)。1942年8月7日、東京都生まれ。明大在学中の63年、レスリング日本選手権で2冠となり64年の東京五輪にフリースタイルのヘビー級で出場。65年6月に日本プロレスでデビュー。68年に渡米し、AWAなどで活躍。74年以降は定期的に新日本プロレスに参戦。87年10月にアントニオ猪木と巌流島決戦。AWA世界ヘビー級王者にもなった。99年2月、日本武道館でのスコット・ノートン戦で引退した。

 ◆ハルク・ホーガン 本名テリー・ボレア。1953年8月11日、米ジョージア州生まれ。77年デビュー。79年、テレビ番組「超人ハルク」を由来にリングネームを改め、WWF(現WWE)に登場。80年から新日本プロレスに参戦し、83年の第1回IWGP決勝戦で、アントニオ猪木にKO勝利。WWF世界ヘビー級王者として、世界のスーパースターになった。俳優としても映画「ロッキー3」、ドラマ「特攻野郎Aチーム」などに出演。2012年にはセックス動画が流出して訴訟を起こす騒動になり、15年には、その動画での人種差別発言が発覚し、WWEから解雇された。得意技はアックスボンバー。身長201センチ、体重120キロ。

格闘技

×