長州力「とにかく豪快な人でした。度肝抜かされました」…マサ斎藤さん告別式

スポーツ報知
マサ斎藤さんの思い出を語る長州力

 今月14日にパーキンソン病のため75歳で亡くなったプロレスラー、マサ斎藤(本名・斎藤昌典)さんの告別式が22日、東京都港区の梅窓院でしめやかに営まれた。

 告別式には、坂口征二氏(76)、長州力(66)、キラーカン氏(71)、北沢幹之氏(76)、前田日明氏(59)、蝶野正洋(54)、佐々木健介(51)と北斗晶(51)夫妻、小島聡(47)、西村修氏(46)らが参列した。司会をフリーアナウンサーの徳光和夫さん(77)が務めた。

 出棺後に長州がマサさんとの思い出を明かした。

 「残念ですよね。随分会ってなかったし、こういう形で…」と言葉を絞り出し、「言っても普通の人は理解できないぐらい、確かにマサさんらしい豪快だったですよね。ありきたりかも分からないけど本当に凄いファイターでしたよね」と評した。

 出会いは、長州の米国遠征時だったという。

 「自分が新日本に入門してから、マサさんの存在は知ってましたけど、ボクはヨーロッパに出てそこから最後にヒロマツダさんとフロリダに行って、そこで(タイガー)服部と出会って、一年ぐらいボクがフロリダにいて、マサさんはもうニューヨークでたまにフロリダにいる服部とやり取りしていて、その時に仕事じゃなくてニューヨークに行こうとなってそこでマサさんと出会ったのが最初かな。

 そこでまだ帰らなくていいなら連れて歩いてやるからって。その時の姿が凄かったですよね。本当に度肝を抜かされましたよね。そういう出会いでいろんなところを連れて歩いてもらいました」

 当時、リング上でもマサさんの凄さを目の当たりにしたという。

 「マサさんは、最初はボクのこと、ボーイさん、ボーイさんって呼んでね。それで、また半年、1年近くアメリカでマサさんに付いて一緒に仕事をしていたんですけど。とにかく豪快でしたよね。そこまでやるのっていうような感じのちょっと怖いことありましたよね。会場の中でも。お客がエキサイトするし、ちょっとヤバイんじゃないかなというところまでやる。それでボクは、2年近く、マサさんと別れてカナダに行ったから、それからですよね、新日本がマサさんをブッキングして。それでずっと行き来していて」

 1989年に長州が新日本の現場監督を務めるとマサさんが渉外部長に就任し2人は取締役として、ドームツアーを成功させた90年代の黄金時代を牽引した。

 「それで何年か経って、ボクが現場を仕切るようになって、マサさんは外国人担当でしたよね。ボクは現場を仕切るだけでしたけど、マサさんは外国人担当で、その当時の外国人はコントロールきかないですから、深夜に電話が鳴るとビクついていましたね。間違いなくひょっとしたらこれ出るのやめようかなっていうぐらい。そしたらやっぱり…。麻布とか六本木が多かったですね。マサさんともちょっと言い合いしてましたよ。でも、マサさんじゃないとコントロールできないような、とんでもないことしでかしてましたよね。よくニュースにならなかったなと。特にホーク(ウォリアー)なんか完全にコントロールできないし、マサさんから“お前も付き合わなきゃダメだ”って何回も付き合っていましたけど」

 当時の豪快な伝説も明かした。

 「一番目の当たりにしたのは、ホークよりデカイ外国人3、4人とエレベーターの中でね。東京ドームで試合するために来ていたアメフトの選手だったと思うんですけど、そこまでやるのかなと。でもマサさんだったらやるだろうなって」

 マサさんが米国で警官への暴行で仲間のレスラー、ケン・パテラと85年6月から1年半、刑務所に入った時に長州は面会に訪れた。

 「ケン・パテラの事件の時にテレビの取材で面会に行ったことあるんです。その時もすごい明るいんですよ。体が落ちてないんですよ。冗談も言うし。“ここ来るとき森林の中の道キレイだったろ”とか訳の分からないこというし、“ポールニューマンの映画見たか、あれはオレたちなんだ”とか、気を使って言ったのか、そういうのを豪快というのか分からないけど、とにかくすごかった。面会に行ったら、みんながマサさんの肩をたたいて“ハイ、ボス”って。意味が分からなかったですよね(笑)。こっちが“マサさん、あの道作っているの?”って聞いたら“バカ、オレは真面目すぎてキッチンに回されているんだ。食べる物は不自由しなくて、フリーな時間はトレーニングできる”って全然変わらなかった。2日間面会して離れる時は辛かったですね」

 そして、功績を讃えた。

 「東京ドームとか箱物がでかくなったからそこを埋めるのにマサさんの力は絶大でした。僕たちの先輩、(山本)小鉄さん、星野(勘太郎)さん、(ジャイアント)馬場さんが逝かれていますけど、マサさんも逝ってしまった。外見的には威圧感ありますけど本当にチャーミングという言葉が似合う人。ただ、にらまれてことが起きると誰も止めようがない。本当にすごい人でした。次々逝かれると自分もレスラーで持っている気持ちが萎えてきます。自分も元気なうちに…でも、あそこまではなれないですよ」

 ここまで話すと大きなため息をついた。

 「あぁ…寂しいですよね」

 息を吐くと長州はこう続けた。

 「自分なんかがこの年までやってきて、あそこまでにはなれないですよね。あそこまでにはなれない。ボクが見てきてリングの中で客を圧巻させるのは(アントニオ)猪木さんでありマサ斎藤。これぐらいしか思いつかない。他にいろいろな人がいましたけど、客を圧巻させたのはアントニオ猪木とマサ斎藤ですよね」

 マサさんの出棺時は、追悼のテンカウントゴングが捧げられ、徳光さんが「マサ斎藤!」とラストコール。入場テーマ曲「ザ・ファイト」が流れるなか、坂口氏、前田氏、カン氏、北沢氏、長州、武藤、蝶野、佐々木、西村といったかつて新日本プロレスに所属したレジェンドらが棺を運びマサさんを見送った。

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