元祖アイドルレスラー48歳・井上貴子「次の夢は女優」…デビュー30周年インタビュー

スポーツ報知
入場コスチュームをまとい、ファイティングポーズをとる井上貴子。生涯プロレスラーを誓った(都内の道場で=カメラ・池内 雅彦)

 元祖アイドルレスラーは美熟女レスラーとして現役を続けている。女子プロレスラーの井上貴子(48)がデビュー30周年を迎えた。10月2日には記念イベント「己を磨く! 女は輝く!」を開催する。写真集を出せばヒット、歌手デビューも果たし、女子プロレス界の女王として君臨。順風満帆に見える道のりだが、実は苦難だらけ。先輩からのイビリ、しごきから逃げ出すことばかり考えていたという。心の支えとなった「プロレス愛」や、今後の夢について熱く語った。

 そのかわいらしい容姿から、元祖アイドルレスラーと呼ばれた井上。30年たった今でも、その美しさは変わらない。“美魔女レスラー”としてリングに上がり続けている。しかし、ここまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。

 「もともと父がプロレスファンで、一緒にテレビを見ていたら、ビューティ・ペア【注1】のファンになり、ジャガー横田さん【注2】や立野記代さん【注3】に憧れるようになりました。そのころオスカープロモーションに所属してモデルの仕事もしていたのですが、自分も人を感動させたいと思い、女子プロレスラーのオーディションを受けることを決めました」

 その時、まだ中学2年生。全日本女子プロレスのオーディションを受けるも、3回連続で不合格。4回目で何とか合格したが、立場は練習生だった。

 「入団してみると、理不尽過ぎることが多すぎて、まるで奴隷扱い。入団2日目で辞めたくなった。それからはいつ辞めるかを考える毎日で…。ストレスで全身にじんましんがでるほどでしたが、プロテストに合格すれば、周囲が認めてくれる。だから、そこまでは頑張ろうと心に決めたんです」

 1988年10月、念願のプロデビュー。しかし、会社から命じられたのは“アイドルレスラー”だった。

 「前例がないので、戸惑いましたが、プロレスありきのアイドルなので、プロレスはしっかりやろうと思いました」

 思い通りにはいかなかった。アイドルの仕事をしていると、リング設営などができなくなり、他の選手から反感をもたれ、風当たりは強かった。全員から無視されるようになった。

 「見えないところで練習していても、先輩からは『練習やっていない』とか言われて。精神的にきつかった。でも、アイドルの仕事をしていると、私のためにいろいろな大人たちが動いている。私が中途半端な気持ちでいてはダメだと分かった。だから“アイドルになりきる”と決めたんです。アイドルレスラーを極めて人気が出れば、周囲からの文句も出なくなると考えていました」

 午前中はアイドルとしてテレビに出演、その後はプロレスラーとして試合に出て、またアイドルとして取材を受ける、そんな日が4年も続いた。睡眠時間は2~3時間。休みは年に1日だけ。アイドルレスラーとして人気は出たが、本格派レスラーへの脱皮に苦しみ、悩んだ。

 「アイドルをやりきったので、もういいかなと思い、会社に『辞めます!』と一度は伝えました」

 そんな時、人生の転機が訪れた。当時、女子プロレス界は対抗戦ブーム。JWP女子プロレスとの対抗戦が行われ、先輩の堀田祐美子【注4】と出場することになった。そこでのひと言が井上を変えた。

 「今日はうるさい先輩もいないから、好きな技を使って好きなようにやろうよって言われたんです。その試合では楽しく伸び伸びと戦えてこれがプロレスか、と」

 プロレスに本気で目覚めた。会社には「辞めるのを辞めます!」と宣言。その後、WWWAオールパシフィック王座を獲得、本格派への転身に成功した。

 今年、デビュー30周年。

 「結局、プロレスが好きなんです。中学生でプロレスと出会って、その時はもしプロレスラーになれなければ、死んでしまうんじゃないかと思っていた。私の中でプロレスを超えるものはなかった。プロレスは奥が深いので、ここでいいというものがない。動ける限り、続けたい」

 「プロレス愛」が30年間のレスラー人生を支えてきた。10月2日には、東京・後楽園の東京ドームシティホールで、デビュー30周年記念イベント「己を磨く! 女は輝く!」を開催する。第1試合でX(当日発表)とシングル戦、メインイベントで井上京子【注5】、堀田祐美子、神取忍【注6】と組んで8人タッグ戦を行う。

 「25周年イベントで出し切ったので、まさかの30周年ですよ。しかし、35周年のイベントは行わない。これが本当に最後です。メインで戦う相手は、私の弟子のような存在。なので、私の魂を吹き込みたい。そして、私のプロレスを引き継いでもらいたい」

 今後は試合数を減らしていくつもりだ。

 「引退はしなくてもいいかなと思っています。プロレスファンに対して、けじめとして引退が必要と言う人もいますが、このままでもいいのかな」

 生涯プロレスラー。これは変わらない。ただ、ほかにもやりたいことはある。

 「女優をやってみたい。芸能界も厳しいとは思いますが、挑戦してみたい」

 かつてのアイドルレスラーが目指すのは「女優レスラー」だ。(取材・高田 典孝)

 【注1】ジャッキー佐藤とマキ上田の女子レスラーコンビ。「かけめぐる青春」でレコードデビュー、試合前のリング上で歌い、人気を集めた。

 【注2】1970~80年代に活躍した女子レスラー。数々のタイトルを獲得。

 【注3】「女子プロレス界の聖子ちゃん」と呼ばれた人気レスラー。

 【注4】85年にデビュー。日本の女子プロレス界で一度も引退せず最も長く現役を続けているレスラー。

 【注5】井上貴子と同時期にデビュー。タッグパートナーも務めた。

 【注6】柔道からプロレスに転向、ミスター女子プロレスと呼ばれる。

 ◆井上 貴子(いのうえ・たかこ)1969年11月7日、茨城県取手市生まれ。48歳。88年10月10日、全日本女子・後楽園ホール大会での井上京子戦でプロレスデビュー。94年10月、井上京子と組んでWWWA世界タッグ王座、96年11月、WWWAオールパシフィック王座を獲得。得意技はオーロラスペシャル、ディスティニーハンマー、バックドロップ、スタンガン攻撃、バックハンドブローなど。93年に写真集「BLESS」を出版、計7冊リリース。ニックネームは、元祖アイドルレスラー、オーロラ・プリンセス、スタンガン・レディー。163センチ、58キロ。

 ◆思い出の試合は負け試合!?

 思い出の試合は、意外にも負けた試合。1997年1月20日、東京・大田区体育館で行われた3冠統一戦。相手はデビュー戦の相手でもあり元タッグパートナーの井上京子。「その時、私がオールパシフィック王座とIWAの2冠で、京子がWWWA世界シングル王座。3本のベルトを統一しようという話が持ち上がって、戦うことになったんです。私はオールパシフィック王座はベルトに憧れていたので、3冠統一する必要はないと思っていました。嫌な思い出として残っていますね」。試合は24分3秒の激闘。ナイアガラドライバーで敗れ、オールパシフィック王座のベルトを手放すこととなってしまった。

 ◆井上貴子 デビュー30周年記念イベント「己を磨く! 女は輝く!」

 【日時】10月2日午後7時スタート(同6時開場)

 【会場】東京ドームシティホール(文京区後楽1の3の61)

 【主催】LLPW―X

 【後援】報知新聞社

 【問い合わせ】LLPW―X(TEL03・6912・6117)

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