58歳の元新日本プロレス練習生が35年目のデビュー…マサ斎藤さん追悼大会

スポーツ報知
同期の大矢剛功(左)に敗れ頭を下げる長松浩二

 ◆「MASA SAITO MEMORIAL~GO FOR BROKE!FOREVER!~《闘将・マサ斎藤追悼試合》」(15日、大阪・城東KADO―YAがもよんホール)

 昨年7月14日に75歳で亡くなったマサ斎藤(本名・斎藤昌典)さんの追悼大会の第1試合で、元新日本プロレスの練習生でデビューを果たせなかった長松浩二(58)がプロレスラーとして一夜限りのデビューを果たした。

 現在、北九州市小倉北区で造園業「長松造園」を営む長松は、同期入門だった大矢剛功(54)を相手に10分1本勝負に挑み、ブレーンバスターで2回投げつけられ、カウント2で返す奮闘を見せたが、8分8秒、片逆エビ固め逆片エビ固めで敗れた。

 島根大学理学部地質学科を卒業した1985年3月に、24歳で入団テストを受検し新日本プロレスに入団。「国立大出身初のプロレスラー」として入団会見も行い、練習生として東京・野毛の合宿所で、1年先輩の武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の闘魂三銃士、飯塚孝之(現・高史)、松田納(現・エル・サムライ)ら同期と汗を流した。

 だがプロレスラーとしてデビューすることなく6月に道場を去った。

 「あの時、辞めたことを心のどこかにトゲのように刺さっている。悔いが残っているんです」と打ち明け、大会プロデューサーで新日本プロレス元取締役の上井文彦氏(64)から「58歳のデビュー戦!いいじゃないですか。やりましょう」と背中を押され、最初で最後のプロ興行のリングに上がった。レフェリーは新日本プロレスの先輩だった保永昇男。試合中の事故で引退した同期の片山明氏(54)も車イスで観戦する中、8分8秒間のプロレスラーとして完全燃焼した。

 ◆長松 浩二(ながまつ・こうじ)1960年11月25日、北九州市小倉北区生まれ。58歳。北九州高校から島根大に進み、85年3月に新日本プロレスに入団も同年6月に退団。現在、北九州市内で造園業「長松造園」を営む。家族は妻。

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