優勝賞金3500万円を全額寄付したボートレーサー守田俊介〈2〉車で一人東北へ「何の役にも立たなかった」

スポーツ報知
2011年8月にボートレースでは東日本復興支援競走が行われ、同大会には守田も出場した

 守田がSGダービーを制覇し、優勝賞金3500万円を獲得する4年前の2011年3月11日、東日本大震災が起きた。「休みで大津市(滋賀)の家にいたので、被害はなかった。震災後はボートレースが中止で仕事がなくなり、家でずっとテレビやラジオ、ネットを見ていた。1週間か10日、毎日。映像が衝撃的過ぎて…」

 震災の前年、守田はマイカーで24日間、車中泊の東北1周旅行をしていた。福島県では喜多方ラーメンに舌鼓を打ち、秋田県ではなまはげと対面。青森・弘前市にある弘前城では、快晴の下で桜をめでた。岩手県ではジャージャー麺をお代わり。大好きな回転ずしで海の幸も堪能した。宮城県では日本三景・松島の美しい自然に心を奪われた。

 思い出の地、東北が被災した映像を見るにつけ、状況を自分の目で確かめたいという気持ちが湧き上がってきた。居ても立ってもいられなくなり、3月下旬のある日、昼頃、一人で車に乗って東北へ向かった。「取りあえず行ったら、何か手伝って帰ってこれたら、人の役に立てるかなと。取りあえず行ってみようと」。北陸道で新潟を通って、サービスエリアで車中泊。翌朝に「福島県の会津若松に入ったのは覚えているけど…」。福島県では最大、震度6強を観測する市町村もあり、街は壊滅的だった。ショック、動揺のあまり、その後の記憶は曖昧だ。どこまで先に進んだのかも覚えていない。「海は見ていない。津波がきた所までは全然たどり着けなかった。途中でがれきとかが出始めて。街に入ったらもう…、潰れていた」

 車は立ち往生。惨状を目の当たりにして、車も心も前に進めなくなった。ボランティアに備えて持ってきた3泊分の着替えはきれいなまま。「浮ついた気持ちで来た自分を責めて、怖くなって。何の役にも立たなかった。被災者が苦しんでいるのに、何てことをしに来ているんだろうって。それが自責の念として心に残った。逃げて帰った」と、自身の行動を吐き捨てた。

 家に戻り、被災地の状況、苦しい胸の内を母に吐露した。「もし万が一、SGを勝つようなことがあったら、奇跡が起こって夢がかなったら、一生に一度だから東日本大震災に全部寄付させてもらう、みたいなことをすぐに言った。オカンは『え、ホンマ?』って。僕がSGを勝つなんて実績的に現実味がないし、10数年も選手をやってきて、いい所まで行けてなかったですから」(佐々木伸)

 ◆日本大震災後のボートレース 2011年3月11日に東日本大震災が発生し、ボートレースは13日~31日まで全国24場一斉に休催した。4月1日に初日を迎えるレース場から順次に再開。被害が大きかったボートレース桐生(群馬県)は5月3日から再開した。4月1日より「東日本大震災被災地支援競走」のタイトルを掲げたレースが全国で数多く行われ、同レースは入場料を取らずに、各場、募金箱を設置して寄付金を募った。3月に開催中止となった「SG第46回ボートレースクラシック」の代替として、同年8月にボートレース戸田で「SG東日本復興支援競走」を開催。6日間で約84億円を売り上げ、収益金の中から3000万円が被災地に寄付された。同大会には守田も出場した。

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