【豪G1・コーフィールドC】14年アドマイヤラクティで日本調教馬として唯一のV!梅田調教師「チームジャパンで勝ったレース」

スポーツ報知
アドマイヤラクティを管理した梅田調教師

◆コーフィールドC・豪G1(10月20日・芝2400メートル、コーフィールド競馬場)

 日本調教馬として唯一、コーフィールドC優勝を飾ったのが、14年のアドマイヤラクティ。豪遠征中の次戦、メルボルンCの直後に悲運の死を遂げたが、歴史に名を刻んだ1頭だった。同馬を管理した梅田智之調教師(49)=栗東=が、当時を振り返った。

 この時期になると思い出しますね。勝ったその時は正直、その価値がよく分からなかった。後々になって大きな勝利だったんだと、すごいことをやってのけたんだなと、ひしひしと感じました。(報道にあったように)実際は泣いてないけど(笑い)、それくらいの思いはありましたね。

 すべてがうまくいったから勝てたと思います。向こうの検疫はメチャクチャ大変でした。島国だから、まず期間が長い。シャワーを何度も浴びさせられたし、本当に隔離されていました。外には簡単に出られない。敏感なタイプは、本当に大変だと思う。馬も人も。香港にも行きましたけど、全然違いますからね。

 エサは現地の物しかダメで、ほうき1本、持っていけない。持ち込めない物が、たくさんありました。それに当時は、調教を芝でしかできなかった。今はポリトラックも使えるようになったみたいですけど。それで海外馬とか、結構壊れていましたよ。もっと水をまいてくれと注文をつけて。だからこちらでほぼ仕上げて、現地では調整程度。芝質自体は日本とあまり変わらないと思います。

 うちのスタッフだけでなく、ノーザンファームからもサポートに来てくれて、矢作先生(調教師)のところもいてくれました。チームジャパンで勝ったレースだと思っています。いろいろと整わないと、勝てないですよ。

 《アドマイヤラクティは続いて挑んだメルボルンCで最下位の22着に敗れた直後、馬房で倒れ心不全のため急死。現地で火葬された》

 遺骨を持って帰って、社台スタリオンステーションに立派なお墓があるんです。アドマイヤベガとか名馬と一緒にね。いつかまた、墓参りに行かないとね。

 ◆梅田 智之(うめだ・ともゆき)1969年4月20日、滋賀県生まれ。49歳。96年から栗東・西橋豊治厩舎で厩務員、調教厩務員、調教助手を務めた。06年に調教師免許を取得し、翌07年に開業。JRA通算212勝。重賞はレッツゴードンキで制した15年桜花賞のG1・1勝を含む5勝。

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