伊藤正徳調教師、偉大な師匠・尾形藤吉調教師の教えを守り続けラストウィークへ挑む

スポーツ報知
ひたすら馬を見て、考え、トレーナーとしての「知力」を高めてきた伊藤正調教師

 日本ダービーを勝った騎手として、またトレーナーとして日本競馬界を彩ってきた伊藤正徳調教師(70)、柴田政人調教師(70)=ともに美浦=が、今月末をもって定年を迎える。偉大な師匠の教えを守り続けた男と、最後まで1勝の重さを痛感し続けた男。今週の開催がラストウィークとなる両師の、ホースマン人生をたどった。(浜木 俊介)

 「尾形一門」のプライドを胸に、伊藤正調教師はホースマン人生を歩んできた。師匠は、昭和初期から50年代まで日本の競馬をけん引し、歴代1位の通算1670勝を挙げた尾形藤吉調教師(故人)。その晩年に所属騎手となり、1977年にラッキールーラでダービーを優勝した。

 「この世界で何十年も生きて幸せにやれたのは、尾形先生のおかげ。人としての生き方を含め、全てを教わった」。今も実践している師匠の教えは、馬を見ること。厩舎前の馬道の傍らで管理馬が運動する様子を観察する姿は、美浦トレセンでおなじみの光景だ。「厩舎に入った時、尾形先生はすでに高齢だった。それでも、朝早くから厩舎に行って、全ての馬を見ていたからね。それを続けることで、微妙な馬の変化が分かるようになった」

 伊藤正師は、調教師としてのキャリアを「知力」と表現する。知力を高めるには、しっかり馬と対峙(たいじ)したうえで考えを働かさなければならない。学びという意味で心に残る馬に、エアデジャヴーを挙げた。「オークス(98年2着)がそうだが、ちょっと足らない馬だった(桜花賞、秋華賞3着)。強い何かを持っているのに、それを出さない。出させるためには、どうすればいいのかと…」。同馬が初めて重賞を勝った同年のクイーンSの優勝レイは、今も厩舎に飾られている。

 馬を見ることに始まり、物事の根本を常に意識する。それが、伊藤正師の流儀だ。「尾形先生をはじめとして、戦争もあって苦しい時代に競馬を存続した人がいて今につながっている。そのことは忘れてはいけないと思う」。競馬が発展を遂げた結果、経済という側面が支配力を強めたことは否めない。「今の自分が誇れるのは、小さな馬主、小さな生産者と一緒に、大手と対等に戦おうとしていたところかな。それが、日本の競馬を支えてきた人たちだから」

 大地に深く根を張った「尾形一門」という大きな樹木。知力を鍛えて年輪を加え、真っすぐに幹を伸ばし続けた伊藤正師は、胸を張って競馬場に別れを告げる。

 ◆伊藤 正徳(いとう・まさのり)1948年10月22日、北海道生まれ。70歳。68年に名門・尾形藤吉厩舎所属で騎手デビューし、通算2115戦282勝。GI級勝利は77年ダービー(ラッキールーラ)、82年天皇賞・秋(メジロティターン)。88年3月に厩舎を開業し、先週までにJRA通算518勝。重賞22勝。G1は99年安田記念、マイルCS(ともにエアジハード)。父・正四郎も尾形師の門下生で、騎手として36年のダービー(トクマサ)を優勝。のちに調教師になっている。

 ◆尾形 藤吉(おがた・とうきち)1892年3月2日、北海道生まれ。一時期、景造と名乗る。騎手として活躍する傍ら、調教師免許を取得。中央競馬で歴代1位の通算1670勝を挙げた。ダービー8勝は最多記録。81年に死去。門下生は、松山吉三郎、保田隆芳、野平祐二と、そうそうたる名前が並ぶ。

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