1勝の重さを痛感し続けた柴田政人調教師、ひたむきに競馬人生の最終章に臨む

スポーツ報知
大切なのは人と人のつながり。競馬とひたむきに向き合ってきた柴田調教師

 日本ダービーを勝った騎手として、またトレーナーとして日本競馬界を彩ってきた伊藤正徳調教師(70)、柴田政人調教師(70)=ともに美浦=が、今月末をもって定年を迎える。偉大な師匠の教えを守り続けた男と、最後まで1勝の重さを痛感し続けた男。今週の開催がラストウィークとなる両師の、ホースマン人生をたどった。(浜木 俊介)

 ダービー史に残る名言だった。「世界のホースマンに『第60回のダービーを勝った柴田政人です』と伝えたい」―。騎手生活27年目の1993年。ウイニングチケットで悲願の優勝を果たした柴田は、喜びを海の向こうへと発信した。誰もが認める名ジョッキーが、ついに世界に通用する肩書を手に入れた。

 四半世紀が過ぎた2018年。柴田師は、厩舎に勝ち星がないという現実に直面していた。「ひとつ勝つことの難しさを痛感した。騎手時代も勝てない時はあったけれど、調教師は幅広く気を使う。馬にも人にも…」

 大切にしていたのは、人と人とのつながりだった。現役時は、一流騎手の大半がフリーになっても、育ててくれた厩舎に所属する道を貫いた。調教師としても、関係の深い個人馬主とともに歩んだ。「上手に立ち回るのは合わない。でも、与えられたチャンスに対しては、精いっぱい頑張ってきた」。勝ち負けとは一線を画した領域で、真摯(しんし)に競馬と向き合っていた。

 昨年の最後の開催日だった12月28日の中山4R。管理馬のウイニングメイビーは、ラスト100メートルで先頭に立ちながら2着に敗れた。後ろから差したのは、武豊が持つ年間最多勝記録に王手をかけていたルメールだった。

 「勝ったかな、と思ったんだけど…。後日、ルメールと会ったオーナー(井上久光氏)から、一緒に撮った写真が送られてきてね。『邪魔して申し訳なかった』と謝って『今度は乗せてほしい』と言ったそうだよ」。年が明けて1月19日。ウイニングメイビーは、同じ中山で後続に3馬身半差をつけて逃げ切った。17年8月以来、1年5か月ぶりの勝利だった。

 「みんな知っていたのか、いっぱい『おめでとう』と言ってくれた。騎手の三浦も、負けちゃいかんと真剣になって追っていたね。実は、担当の厩務員は、定年で最後のレースだったんだ」。様々な人間の思いが交わることで、ひとつの勝利がいっそう、味わい深いものになる。静かな笑みを浮かべた柴田師は「これが競馬だ」と言った。

 ◆柴田 政人(しばた・まさと)1948年8月19日、青森県生まれ。70歳。67年に中山・高松三太厩舎から騎手デビュー。78年皐月賞(ファンタスト)でクラシック初勝利。その後、牡馬3冠は、85年皐月賞、菊花賞をミホシンザンで優勝した。ダービー制覇は、93年のウイニングチケット。19回目の挑戦での栄冠で、優勝までの騎乗回数で最も多い記録として残る。95年の引退までに、1万1728戦1767勝(重賞89勝、G1級15勝)。96年に厩舎を開業し、先週までにJRA通算191勝。

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