【中村調教師を宮崎が見た】今月末で引退の知将「二流の馬で、一流を負かすロマン」貫いた42年間

スポーツ報知
最終週は11頭を送り出す中村調教師。障害で2戦2勝のトラストで特別Vを狙う

 中山記念(24日、中山)、阪急杯(同、阪神)の2重賞を含む2月最終週の中山、阪神、小倉競馬の出走馬が21日、確定した。今月末で引退する8調教師にとっては最後の週末。JRA720勝を挙げる中村均調教師(70)=栗東=もまもなくトレーナー生活にピリオドを打つ。これまで長く取材にあたった宮崎尚行記者がコラム「見た」で中村師の思いをひもといた。

 42年の調教師生活を総括した中村調教師の言葉は、意外だった。

 「全体的には『負けの美学』だったかな」

 神奈川県内の麻布獣医科大(現麻布大)では3、4年に首席。卒業時の進路は犬猫病院の医師や教員に加え、教授となる道もあった。結果的に、旧知で大学の2年先輩の増本豊元調教師に誘われ馬術部に入った縁から競馬の世界を選んだが、77年に28歳6か月とJRA史上2番目の若さで調教師免許に一発合格。日本調教師会会長も務めるなどキャリアを見れば、エリートに映る。

 「いじめるよりは、いじめられる部類。強い相手を負かしたい。下克上の気持ちが強かった」と明かした原風景。小学校時代の自習時間は、図書館で戦国武将の本を読みあさった。「乱暴なことは嫌いだったけど戦略、交渉の妙が好きでね」

 特に憧れたのが真田幸村。大坂の陣で大軍の徳川家康を追いつめながら、及ばず敗れた知将だ。「二流の馬で、一流を負かすロマンを貫いた」。大手牧場から超良血馬を預けられる立場でなかった自らを重ねた。

 84年のオークス馬トウカイローマンは、桜花賞でつけられたダイアナソロンとの1秒2差を計算して「直線の坂の上で1馬身半離していれば勝てる」。主戦の岡冨俊一騎手に道中の位置取りを細かく指示して勝利。12年に天皇賞・春を制したビートブラックは「残り3ハロンで3秒以上の差があれば逃げ切れる」と大胆な大逃げで決めた。「はまったよな」。何度も聞いたが、この日も先週の出来事のように会心の笑みがこぼれた。冒頭の言葉。その境地をあえて選び、戦い、楽しんだからこそだろう。

 「楽しく最後までやりきれたのが何より。僕は終わるけど、会社が続くようなもの」。騎手時代からの弟子・長谷川浩大調教師が、引き継ぐことに感謝する。「悔いはないよ」。最後の1鞍まで戦略を練り、燃え尽きるはずだ。(宮崎 尚行)

 ◆中村 均(なかむら・ひとし)1948年9月13日、京都府出身。70歳。77年に28歳で調教師免許を取得、翌78年に開業。JRA通算720勝。重賞は84年オークス(トウカイローマン)、96年朝日杯3歳S(マイネルマックス)、12年天皇賞・春(ビートブラック)のG1・3勝を含む31勝。父は中村覚之助元調教師。

<中村厩舎出走馬>

【土曜中山】

8Rトラスト

【日曜阪神】

1Rセイビーチェ

4Rブレイクスピアー

5Rオトメザミッキー

7Rリリーメーカー

8Rセイリスペクト

9Rタガノヴェローナ

【土曜小倉】

2Rキンショービコー

4Rマイネルカゲツ

【日曜小倉】

3Rクリノショウグン

7Rタガノカレン

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