「用意された家はベッドのみ」インドネシアで3年プレー元日本代表酒井氏

スポーツ報知
牛が解体されている横のグラウンドで練習する大南

◆サッカー男子決勝トーナメント1回戦 U21日本―U23マレーシア(24日、インドネシア・ブカシ)

 今回アジア大会が行われているインドネシアのリーグで3年間プレーした元日本代表MF酒井友之氏(39、現浦和ジュニアのコーチ)に、現地のサッカー事情や国民性などを語ってもらった。(取材・構成=羽田智之、井上信太郎)

 僕が行ったのは2010年から13年の3シーズン。外国人が5枠あり、南米や欧州の選手も来ていました。昨年は元ガーナ代表MFエッシェン(チェルシーなどで活躍)がプレーしたり、環境は整いつつあります。

 ただ当時はむちゃくちゃでしたね。最初の契約は、契約書はあるけど、年数と年俸しか書いてない。口約束で一軒家を用意すると言われていましたが、行ったらベッドしかなく、ほこりもすごくて住める環境ではなかった。そこに外国人選手を3人住まわせる予定だったみたいですけど、結局、自分でアパートを見つけました。

 普通の生活もストレスはハンパない。国民性だから仕方ないですけど、平気で待ち合わせに1、2時間遅れて来ても謝りもしない。練習場も雑草みたいな所もありましたし、日本からインドネシアに挑戦しに来た大学生は3日ほどで帰りました。

 でもサッカー人気はすごい。国技というか一番盛り上がっています。インドネシアの平均収入は月2万円ぐらい。サッカー選手は5万円ぐらいもらっていた。地元の選手はスピードもあるし、身体能力も高い。地域にもよりますが、日本人より強い選手もいます。何年かすれば、日本もそうだったように、レベルは上がってくると思います。

 僕もトルシエ監督の時に兼任監督を経験しました。森保さんの戦術が下の世代まで理解できるし、スムーズに行くと思います。アジア大会で活躍した選手はどんどんA代表に入っていくはず。アピールしてほしいですね。(元日本代表MF)

 ◆酒井 友之(さかい・ともゆき)1979年6月29日、埼玉県生まれ。39歳。中学から市原(現千葉)のアカデミーに所属。高校3年生だった97年5月3日の清水戦でJリーグデビュー。98年トップ昇格。その後、名古屋、浦和、神戸、藤枝でプレー。2010年9月、インドネシア・スーパーリーグのペリタ・ジャヤ(現マドゥーラU)に入団し、同国の4クラブで活躍後の13年8月に引退。J1通算213試合11得点。日本代表では1999年U―20Wユース(現U―20W杯)で準優勝。00年シドニー五輪に出場。国際Aマッチ1試合。現在は浦和のジュニア(U―12)チームのコーチ。

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