森保ジャパン、フランスW杯以降初陣最多3発でコスタリカ完封「選手がトライしてくれた」

スポーツ報知
前半16分、先制点を奪い喜ぶ日本代表イレブン(カメラ・竜田 卓)

◆国際親善試合 日本3―0コスタリカ(11日・パナソニックスタジアム吹田)

 森保ジャパンが22年カタールW杯に向けて白星発進だ。森保一監督(50)の初陣となったFIFAランキング55位の日本は同32位のコスタリカ代表に3―0で勝利。前半16分に相手のオウンゴールで先制すると、後半には代表初先発のMF南野拓実(23)=ザルツブルク=、途中出場のMF伊東純也(25)=柏=の国際Aマッチ初得点で加点した。16強に進出したロシアW杯の主力メンバーを招集せず、大幅に若返らせて臨んだ初戦。日本の完封勝利は12試合ぶりとなった。

 快勝の笛が耳に届くと、森保監督はベンチ前で選手と握手を交わし始めた。「特長を出してくれた」とねぎらう気持ちからか、無意識のうちに中腰になっていた。「全国で被災され、つらい思いをされてる方々にプレーで励まそうと、選手たちは戦ってくれた」。試合後の会見。支えられたすべての関係者に「感謝」を繰り返した。

 初陣に選んだ先発メンバーの平均年齢は26・5歳。ロシアW杯ベルギー戦から約3歳若返った。国際Aマッチ出場歴が2ケタに満たない選手が8人いた。経験値はほとんどない。そんな選手たちを「初陣、初陣と言われているが、私も広島で監督してからここに立っている。選手もクラブでやっている」と送り出した。緊張や気負いを抜き去り、選手は躍動した。初出場のDF佐々木が先制点を誘発し、南野、途中出場の伊東が初得点をたたき出した。

 6日未明に起きた北海道胆振(いぶり)東部地震。札幌市内で合宿中のチームにも影響を及ぼした。初陣となるはずだったチリ戦(7日・札幌ド)は中止。「できることをやっていこう」と7日に紅白戦を実施した。大阪も台風21号の被害が大きい。支えられて迎えられたコスタリカ戦。「サポートしてくださった思いを知り、この試合、今後の人生に生かされた」

 25年前、基準ができた。カタール・ドーハで行われた93年米国W杯アジア最終予選のイラク戦。ロスタイムに同点に追いつかれW杯初出場が目の前で閉ざされた。ドーハの悲劇をピッチで味わった。「試合どころか、あの日のこともほとんど覚えていないんです。夢をかけて戦っていた。心が折れそうになるじゃなくて、折れました」

 当時は、失うものばかりだと思っていた。自暴自棄にもなったこともある。だが、はい上がることをあきらめなかった今、言える。「サッカーをしている限りは、あれよりつらい経験をすることはないだろうと言い聞かせている。はい上がってきた中で、ずっと人生はやり続けること、それを学んで今がある」

 20年東京五輪代表監督との兼任。大役が2つ肩に乗る。4年後、そのカタール・ドーハでW杯が行われる。「チームの力をどうやったら最大限出せるかを考えてやっていきたい」と森保監督。ドーハで笑うための戦いが始まった。(内田 知宏)

 ◆森保監督に聞く

 ―試合を振り返って。

 「札幌のホテルで(地震に)被災したが、普通の生活を送らせていただいた。従業員の方々が被災してつらい思いをしているのに、我々に手厚くサポートしていただいた。すべてのサポートしてくれた皆さんに感謝したいと思います」

 ―監督として初めて4バックを採用した。

 「1つの形にこだわってやっていく形もあると思うが、私はいろんな形に対応したい。対応力を選手に持ってほしい。サッカーの攻守の原理原則は変わらない。選手がそれを理解してトライしてくれた」

 ―A代表初陣の気持ちは。

 「A代表の監督として特別に思った部分もあります。特別に思っていない自分もいました。素晴らしい環境作り。なかなか経験できなかったこと。逆に特別でないと思っていることは、私自身の気持ちは変わらないということです」

 ◆初陣での3発 98年フランスW杯以降に就任した日本代表監督9人中で最多得点。オシム、ハリルホジッチが2点、トルシエ、ジーコ、ザッケローニが1点、岡田、アギーレ、西野が0点だった。完封は6例目。

 ◆代表監督の初陣初得点オウンゴール 1923年5月23日のフィリピン戦(1●2)の西田満寿次郎監督から森保一監督まで日本代表を率いた指揮官は、コーチだったデットマール・クラマーさんを含め29人いる。日本代表を指揮してから初得点がオウンゴールだったのは森保監督が初。

 ◆森保 一(もりやす・はじめ)1968年8月23日、長崎市生まれ。50歳。長崎日大高から87年にマツダ(現広島)入団。92年に日本代表初選出。国際Aマッチ35試合1得点。京都、広島、仙台を経て2003年に引退。04年に広島の育成コーチに就任し、05年からU―20日本代表コーチを兼務。12年に広島監督就任。12、13、15年にJ1優勝。17年7月に退任し、同年10月から東京五輪世代のU―21日本代表監督。今年7月にA代表との兼任監督。家族は妻と3男。

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