JFL昇格の女川、“3・11”の初戦は被災地に白星届ける 震災で1年間活動休止から復活

スポーツ報知
土の上に人工芝を敷いた石巻トレーニングパークで練習するコバルトーレ女川の選手たち

 東日本大震災発生からちょうど7年となる11日に開幕するJFL(日本フットボールリーグ)に、コバルトーレ女川(宮城)が初参戦する。2011年の震災では選手寮やクラブハウスが全壊し、1年間の活動休止に追い込まれた。翌12年に東北2部南から再出発し、昨年11月の全国地域チャンピオンズリーグ(CL)で優勝してJFL切符をつかんだ。開幕戦は、アウェーでホンダFC(静岡・浜松市)と対戦する。

 “あの日”から7年がたつ。コバルトーレは震災後、選手に対する女川町や石巻市の就労支援、地元企業スポンサーによって支えられてきた。クラブ創設の2006年から在籍し2011年から昨季まで監督を務めた阿部裕二GM(46)は「町の支えがあったから今がある。僕らは単に町のためではなく、自分たちが上を目指してやってきた。でも、(結果として)僕らがやってきたことが町のためになっている。僕らは町に生かされている」と話した。

 7年前、本拠地の女川町では震災で800人以上の犠牲者が出た。コバルトーレも、津波で選手寮やクラブハウスが全壊し、スタジアムは自衛隊車両の駐車場になった。1年間の活動休止となったイレブンは、町の復旧活動に取り組んだ。津波で流れ込んだゴミの清掃や、食料や飲料水が入ったタンクを軽トラックに乗せて避難所などを回った。06年加入のFW吉田圭(30)は「かまぼこ工場で生産ラインを作ってもらって、かまぼこを配り歩いた」。08年に入団したFW成田星矢主将(31)は「病院から出た排せつ物の処理をやった。排せつ物をポリ袋に詰めて、トラックに乗せる作業。階段で何往復もした」。過酷な環境で、黙々と復旧作業に取り組んだ。

 練習再開後も苦労は続いた。使用していた練習場は天然芝が枯れ、土がむき出しになった。「仮設住宅の洗濯物に土ぼこりがかからないよう、人工芝を敷いた」と阿部GM。それでもサッカーを諦めなかった。

 7年がたち、チームで震災を経験した選手は成田と吉田の2人だけとなった。今季就任した村田達哉監督(45)は先日、津波で被害を受けた石巻市の日和山公園を、イレブンと訪問した。「選手によって震災に対する受け取り方が違うと思っていた。昨年から在籍している選手はプレーに覚悟が出ていた。その覚悟や思いをピッチで出したいので、一度、全員で被災地を回った」。新指揮官は「一人一人、震災への思いは違っても、震災を経験したチームで戦う。覚悟を持って1年間を戦う」と意気込む。

 女川町で計画されている、3年後の球技専用スタジアム建設に合わせて、J3昇格を目指している。「今季は、より高い順位で(JFL)残留することを目標に頑張りたい」と阿部GM。悲願のJリーグ参入に向けて奮闘し続ける。(海老田 悦秀)

 ◆コバルトーレ女川 ホームタウンは宮城・女川町。クラブ名は「コバルトブルーの海」の「コバルト」と、スペイン語で森を意味する「フォーレ」を合わせた造語。2006年に石巻市民リーグからスタート。宮城県、東北社会人2部南を経て10年に同1部に昇格したが、1季で2部降格。11年は震災のため不参加。13年に東北1部に再昇格し、昨年から2連覇を果たし、今季JFLへ昇格した。

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