山梨学院を総体Vへ導いた横森巧総監督の経験

2018年8月18日10時0分  スポーツ報知
  • 選手たちに胴上げされる横森総監督

 全国高校総体サッカー男子は、4年ぶり5度目の出場となった山梨学院が、決勝(13日、三重交通Gスポーツの杜鈴鹿)で桐光学園(神奈川〈2〉)に延長戦の末、2―1で勝ち、初優勝を成し遂げた。決勝まで全6試合を取材した古川浩司記者が勝因を分析。接戦をものにしながら勝ち上がっていった山梨学院イレブンだが、山梨県で唯一、監督として全国高校総体と全国高校選手権の日本一を経験している横森巧総監督(76)の存在がチームを支えていた。

 前評判は決して高くなかった山梨学院が、県勢43年ぶり2度目の夏制覇を果たした。その要因のひとつに、横森総監督の存在があった。1975年に韮崎を率いて全国高校総体で優勝。2009年度の全国高校選手権では山梨学院を初出場で県勢初優勝に導いた名将だ。現在は総監督として「色々アドバイスしますよ」と、チームを支えている。今大会中も連日、約2時間のスタッフミーティングで自身の経験や考えを伝えた。

 市船橋(千葉〈2〉)との2回戦(1〇0)では、相手のサイドバックの裏を突く戦術だったが、就任3年目の安部一雄監督(55)も「(作戦を)徹底させるという意味で言葉の力強さがある。経験ですよね」と信頼感を口にしていた。

 技術面だけではない。大会期間中、村松征二郎GKコーチ(48)とともに、夫婦岩やカエルで知られる二見興玉神社を訪れ、“勝ってカエル”と願掛けもした。さらに、選手たちを試合会場近くだった伊賀上野城の見学に連れて行ったり、中華料理店での食事でリフレッシュさせたりもした。「(連戦の中で)何かを変えてやらないと」。名将の、ピッチ外でのこまやかな気配りもまた、選手たちを乗せたのか。決勝戦当日の朝、「山梨の歴史の中でもめったに立てる舞台じゃないぞ」と送り出した。イレブンは、その言葉の“重み”を感じ、ピッチに立ったはずだ。

 取材中、趣味のゴルフの話になったときは「7月中旬くらいにやって(スコア)87だった。ベストは80くらい。(76歳だが)ハンデなしでやりたい。意地ですね」と勝負師の表情を見せていた横森総監督。その“闘志”はチームにも伝わり、炎天下でも(準々決勝の宮崎・日章学園戦では気温35・5度の猛暑日!)、最後まで走りきる原動力にもなっていた。

 表彰式後、安部監督らとともに選手たちから胴上げされ、笑顔を見せた横森総監督。「予想以上に頑張ってくれた。出来過ぎの優勝」と日本一を喜んだ。(古川 浩司)

 ◆山梨学院 優勝までの道のり 雷で試合開始が3時間遅れた1回戦では、前原(沖縄)に5―0と大勝。市船橋との2回戦は、DF市川大葵(3年)の高校公式戦初ゴールで1―0と競り勝った。高川学園(山口)との3回戦は、PK戦でGK市川隼(3年)が2本をセーブするなど活躍、初の8強入りを決めた。準々決勝で日章学園(宮崎)に3―2と逆転勝ちすると、東山(京都)との準決勝もPK戦で市川隼が3本を止めた。決勝の桐光学園戦では、先制点を許すも、後半ロスタイム5分にFW宮崎純真(3年)がゴール。土壇場で1―1とすると、延長前半5分、宮崎がドリブルからクロス。相手のオウンゴールを誘って2―1と逆転。初優勝を飾った。

 ◆横森 巧(よこもり・たくみ)1942年7月27日、勝沼町(現・甲州市)生まれ。76歳。日川高1年でサッカーを始め、日体大に進学。卒業後は甲府クラブでプレーする傍ら、谷村(現谷村工)、韮崎、韮崎工など高校サッカー部の監督を歴任。2009年4月に山梨学院の監督に就任。同年度限りで監督を退任し、総監督に就任。

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