今も愛される真の伝説FWアマラオ、日本語勉強し指導者の道へ

2018年9月22日13時0分  スポーツ報知
  • F東京サポーターの“生きる伝説”アマラオ。現在は社会人チームで指揮を執っている
  • 今も味スタでの試合開催時にはアマラオの肖像が掲げられている
  • F東京最終年となった03年のアマラオ

 今年、クラブ創設20周年を迎えたJ1のF東京。今月29日の本拠地・味の素スタジアムでの清水戦は、クラブの歴史を彩った名選手によるOB戦など、さまざまなイベントが企画されている。中でも、今もサポーターの心に深く刻まれているレジェンドが、FWとして活躍したアマラオ(51)だ。現在は群馬・前橋に本拠を置く社会人チーム「TONAN前橋」で指揮を執っているが、「KING・OF・TOKYO」と呼ばれたF東京時代を振り返った。

 F東京の本拠である東京・調布市の「味の素スタジアム」に足を運ぶと、ある特徴的な光景が目に入る。「KING AMARAL(アマラオ) STADIUM」の横断幕がゴール裏に掲げられ、そして、もう一つ。巨大な肖像画がピッチ上の赤と青の選手たちを見守っている。そのモデルこそ、今も「KING OF TOKYO」と呼ばれているクラブのレジェンド、アマラオだ。

 日本サッカー界において「キング」といえば、誰もがカズ=三浦知良(横浜C)を思い起こすだろう。しかし、F東京のサポーターにとって「キング」とは、このアマラオにほかならない。現役時代はFWとして前身の東京ガスサッカー部時代から活躍。1992年からF東京を去る2003年シーズン終了までに記録した公式戦出場332試合は、外国人選手の同一クラブにおける最多出場試合数となっている。

 「東京ガス時代、JFLからJ2、J1とチームが強くなるために毎日、頑張ってきた。F東京が本当に強いチームになったのを見てうれしく思います。今、J1で3位だけど、最後まで優勝を諦めないで頑張ってほしいし、これからは毎回、V争いに絡むチームになっていくと思う」

 現在は関東リーグ2部所属の「TONAN前橋」で監督を務めている。

 「ここは26年前、来日した頃の東京ガスと同じ。選手が自分たちで練習の準備をするし、ユニホームの洗濯もする。何でも自分たちでやることは大変だけど、チームに一体感が出る。そして、強くなっていく」

 ブラジル・サンパウロ州の3部リーグの選手としてプロデビューしたのが87年。東京ガス加入のために来日したのは92年5月だった。チームは当時、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属していたが、社員選手がほとんどで、練習でも人数がそろわず、グラウンド環境も劣悪だった。日本語は分からない。習慣、食べ物にもなじめない。口に合う物がないため、ソバばかりを食べる毎日だった。

 「来日前に所属してたのがパルメイラスという強豪だったから『何、これ?』って感じ。スパイク、ユニホームはホペイロ(用具係)が準備してくれていたけど、全部、自分たちでやらなきゃならない。移動も電車で、右も左も分からないから大変だった。グラウンドもそう。硬い人工芝の練習場だったけど、試合だけは天然芝。『何で練習から天然芝じゃないの?』って、全てにストレスを感じました。来日してから5年くらいは毎年、『帰りたい』と思っていたかな」

 ホームシックになってしまったアマラオを救ったのが、当時、ヴェルディ川崎(現東京V)のスター選手で同じブラジル出身のラモス瑠偉だった。

 「渋谷のブラジル料理店でたまたま会う機会があったんですが『日本で頑張ることで、家族の生活が楽になるんだぞ』と言われて。確かにブラジルに帰るよりは金銭面では良かったし、何より私がサッカーで頑張ってきたのは家族のためでしたから」

 来日から26年。流暢(りゅうちょう)な日本語を操るまでに、すっかり日本になじんだ。

 サポーターから「キング」の称号で呼ばれたのは、97年9月のこと。JFLの対川崎フロンターレ戦でアマラオは4ゴールを挙げる活躍を見せた。この前日、日本代表はフランスW杯出場を懸けたアジア最終予選でウズベキスタンと戦い、カズが4得点。そこで、東京ガスのサポーターから「アマラオこそ我々のキング!」の声が上がり、「KING OF TOKYO」と呼ばれるようになった。

 「最初は『何でオレがキング?』って思った。ジーコやラモスといったブラジル出身選手が頑張っていたし、そんなにサッカーがうまくないし…。でも、サポーターの愛が伝わってくる言葉だから、誇りです。今もいろいろな選手が『キング、元気?』『キング、久しぶり』って。うれしいね」

 東京ガス―F東京を通じて9度のハットトリックを記録。9年連続してシーズン2桁得点をマークするなど、主力としてチームを牽引(けんいん)した。この間、98年にはJFLで優勝。「FC東京」と改称して臨んだ99年はJ2で準V。「J1昇格」というクラブの悲願を達成した。

 アマラオが真の伝説となったのは、03年11月29日。F東京のユニホームを着てのJ1最終戦、対柏戦ではなかったか。

 この試合、前半で2点のリードを許す。既に退団を表明していたアマラオは後半からピッチへ。すると、後半20分に石川、同34分に阿部のゴールで追いつく。そして、同38分。相手DFがクリアしたこぼれ球をアマラオがゴール中央で拾って右足で勝ち越しゴール! 同40分にも2点目を決めた。

 実は前節の試合で足首を捻挫し、普通なら試合に出られない状態。それでも、ピッチに立った、といわれている。

 「実はね、けがよりも気持ちの問題が大きかった。シーズン途中、チームから『契約は更新しない』と言われて、ストレスがたまり、練習もろくにできなかった。来年、いない選手を使うよりは若手を使うようになるからベンチばかり。でも、あの試合、前半が終わって2点負けていて、どうしても点を取りにいかなきゃならなかった。点を取るのはフォワードの仕事だから、ピッチに立って、自分で2点を取って…。最高だった」

 氷雨降る日立柏サッカー場。試合終了と同時に興奮したサポーターがピッチになだれ込み、パトカーが出動する騒ぎとなったが、「キング」の面目躍如だった。

 引退後、「日本でサッカーの指導者になりたい」と夢を抱き、公文式の国語の授業を中学生クラスに入って勉強。自身のブログも日本語で更新を続けるなど努力を続けてきた。

 「小学生から大人まで、アマチュアからプロまでを教えてきたけど、もっともっとサッカーの素晴らしさを感じてもらいたいし、それを伝えていくのが仕事だと思っています。そして、チャンスがあれば、いつの日かJ1の監督をやってみたいですね」

 現役時代同様の屈託のない笑顔で、こう言葉を継いだ。(取材・名取 広紀)

 ◆アマラオ(Amaral)本名ワグネル・ペレイラ・カルドーソ。1966年10月16日、ブラジル・サンパウロ州生まれ。51歳。92年に来日して東京ガスサッカー部―F東京に所属。2004年には湘南に移籍。その後もJFLのFCホリコシ(アルテ高崎に改称)、FC刈谷でプレーした。引退後は刈谷の監督、東京23FC監督、暁星国際高ヘッドコーチ、ザスパクサツ群馬コーチなどを歴任。昨年から群馬・TONAN前橋の監督。J1ではリーグ戦通算101試合に出場、49ゴール。J2では45試合に出場、17ゴール。07年には外国人選手として初のJFAアンバサダーに任命された。

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