【鹿島】「超アウェー」 磐田・名波監督が19年前語った過酷だったスタジアム体験

スポーツ報知
名波監督はアザディスタジアムでの“超アウェー”体験を振り返った

◆アジア・チャンピオンズリーグ2018 ▽決勝第2戦 ペルセポリス-鹿島(10日、イラン・アザディスタジアム)

 【テヘラン(イラン)8日=岡島智哉】悲願のアジア制覇を目指し、敵地イランでの第2戦に臨む鹿島は8日、約17時間をかけて当地に到着した。第2戦が行われるアザディスタジアムは、日本代表が過去3度イランと対戦し一度も勝てていない“魔境”。8万5000人以上の相手サポーターが来場する“超アウェー”状態が予想される。1999年にACLの前身・アジアクラブ選手権決勝で同スタジアムのピッチに立った磐田の名波浩監督(45)が当時の壮絶な体験談を語った。

 名波監督は磐田で現役時代の99年4月30日、アジアクラブ選手権決勝でエステグラル(イラン)と対戦。その会場こそ、今回、鹿島がACL決勝を戦うアザディスタジアムだった。

 名波監督(以下名)「アザディスタジアムの外で(敵チームに)投げるための石が売っていた。爆竹やリンゴが足元に飛んできたことも覚えているな。試合前、『バンバンバーン』って爆竹が鳴って、偶然、跳ねたものがMF久藤(清一)の短パンに当たり焦げてたね。そもそもイランはサッカーに懸ける思いが強くて、サポーターも軍隊チックなんだよ。日本代表もなかなか勝てない難しいスタジアム。(8万人以上といわれる)観客数の多さは断トツ。試合後、スタジアムから出るのに2時間半かかったのを覚えている」

 当時、2―1で勝ったが意外な落とし穴もあった。

 名「会場は標高が高い(1274メートル)。空気抵抗が小さいから、前々日練習でロングボール蹴ったらスーって飛んでいった。試合では、サイドチェンジのボールが飛びすぎてラインを割ってしまったし。あの程度の標高なら心拍数は問題なかったけど、セットプレーでは気をつけたね」

 サポーターにとっても完全アウェーだった。

 名「日本人サポーターは100人程度だった。日本から来た人はあまりおらず、現地の日本企業に勤める方や日本人学校の方が来てくれた。でも女性は入れなかった」

 名波監督と鹿島・大岩剛監督(46)は清水商(現清水桜が丘)高時代の同級生でもある。

 名「16年に鹿島がクラブW杯で準優勝した時、当時ヘッドコーチの大岩は賞金をもらっているはず。でも俺は、あいつに何もしてもらってない。鹿島がACL優勝したら大岩払いの晩餐(ばんさん)会を開いてもらうからな(笑い)」

 ◆アザディスタジアム

 ▼開場 1971年

 ▼使用チーム ペルセポリス、エステグラル(イラン)、イラン代表

 ▼収容 約8万5000人。過去最多動員は12万8000人だが、老朽化に伴う工事のため座席数が減少

 ▼標高 1274メートル

 ▼地の利 ペルセポリスは今季ACLで5勝1分けと無敗。決勝T1回戦、準々決勝はともに第1戦のアウェー戦で敗れたがホームで逆転

 ▼日本代表も苦戦 過去3度イラン代表と対戦。06年ドイツW杯の最終予選で1―2で敗れるなど2分け1敗と未勝利

 ▼女人禁制 宗教上の理由から、イラン人は男性のみが来場可能。日本の女性サポーターは肌を極力露出させないことを条件に来場が許可されている

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