【川崎】主将の小林が実現した確固たる思い「タイトルは自分たちの力でとるもの」

スポーツ報知
優勝トロフィーを手にする川崎・小林

◆明治安田生命J1リーグ第32節 C大阪2―1川崎(10日、ヤンマースタジアム長居)

 小林はピッチには立てなかった。それでもスタンドで観戦し、表彰式もスタッフとともにベンチ前から背番号11のユニホームを着て見守った。試合前にはサポーターのところに向かい、拡声機で「選手に声援を送ってください」と呼びかけた。

 3日の柏戦(等々力)で相手DFの肘打ちを顔面に受け、途中交代。「左眼窩(か)底骨折」と診断され、C大阪戦は欠場を余儀なくされた。それでも念願の連覇達成に自然と笑顔になった。「シャーレ(Jリーグ杯)には重みがあった。最高の気持ち」。ともに1シーズン戦ってきた。場内を1周する際には谷口からキャプテンマークを受け取り、腕に巻いた。ともに戦った90分。敗れはしたが、これまで積み重ねた勝ち点でついにJの頂きに立った。

 1月の川崎大師での必勝祈願。願ったのは「連覇」ではなかった。「普通に家族の健康を祈りました。タイトルは自分たちの力で取るもの」。連覇は神に祈るのではなく、自らの日頃の鍛錬でつかみとるもの。優勝の決まるピッチには立てなかったが、チームトップの15得点。2季連続で主将も務め、ピッチの内外でエースの働き。見事に自力で「連覇」をつかみとった。

 苦しくなった時、いつも思い出す言葉は「うまくいかない時、悩んでいる時が一番成長している時だ」。麻布大淵野辺高(現麻布大付高)時代の恩師、石井孝良先生(64)が口にしていた言葉だ。「人間誰しもが悩む。悩みがないことはない。今後人生の中でいろいろな悩みを自分でどうやって解決するかという糸口を見つけられるようになって欲しい」(石井先生)という意図があったという。

 湘南ユースのセレクションで不合格となり、同校へ進学。赤土のグラウンドをトラック30台分の土を運んで、サッカーのできる環境も整備したこともあった。今季は自らのプレーを映像を見て振り返ることはやめていた。だが、春先に思うようにゴールが奪えず、昨季のゴールシーンを見て、再びゴールへの“飢え”を呼び覚ました。6月のロシアW杯出場は負傷で棒に振った。PKを2回続けて失敗したこともあった。この日もけがで優勝の決まるピッチには立てなかった。今まで同様悩んだ今季、思い出すのは石井先生の言葉だった。

 16年シーズン終了後に神戸、鳥栖などからオファーが届いたが、残留。その際にも石井先生の「お前の上にはお前が尊敬するようなプレーヤー(中村憲剛)がいるだろう。彼もずっとフロンターレでやってきて今の地位がある。そこを目指してもいいだろう」という言葉が後押しした。この連覇は来年、定年を迎える恩師に感謝の気持ちとして贈りたいものでもあった。

 まだ31歳。小林のサッカー人生は続く。中村憲剛もレジェンドだが、川崎で93得点を築き上げてきた小林もまた、次代のレジェンド。J最多となる3連覇を目指して背番号11の戦いはまだ終わらない。

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