【磐田】J1残った!4日連続非公開、信念曲げた名波監督のため選手一丸

スポーツ報知
J1残留を決め喜ぶ川又(左端)ら磐田イレブンと、厳しい表情を見せた名波監督(手前右=カメラ・中島 傑)

◆J1参入プレーオフ決定戦 磐田2―0東京V(8日・ヤマハ)

 J1とJ2の入れ替え戦は、J1・16位の磐田がU―21日本代表FW小川航基(21)の先制PK弾など2―0でJ2・6位の東京Vに快勝し、J1残留を決めた。名波浩監督(46)は試合前日まで4日連続で完全非公開練習を行う必勝態勢で、右太もも裏痛の日本代表FW川又堅碁(29)と5日に捻挫したMF中村俊輔(40)の先発落ちを隠すことに成功。試合後は16位に終わった責任を痛感し、自らの進退を保留した。

 公式戦6戦ぶり先発のFW小川航が走った。前半41分、MF山田のスルーパスに反応。相手GKと1対1となり、倒されてPKを獲得した。右太もも裏痛を抱える川又に代わり1トップに入った東京五輪のエース候補は、自らゴール左隅に決めた。引き分けでもJ1残留が決まる規定にも受け身に回らず、守備のプレスは特に激しく、許したシュートはわずか2本。2―0で残留を決めると、磐田イレブンは歓喜というよりは安どの表情を浮かべた。

 4日から4日連続でメディア取材NGの完全非公開練習を敢行した。14年9月に就任後、原則ファンとメディアに一般公開したが、突如“名波のカーテン”を引いた。指揮官は「川又は調子がよくなくて、俊輔も水曜日(5日)に捻挫した。非公開練習で、メンバーをいじらなければならなかった」。俊輔と川又の先発落ちはベールに包まれ、“代役”の小川航が決勝弾を決めた。長期離脱明けで約9か月ぶり先発のMFアダイウトンも東京V守備陣に重圧をかけた。

 現役時代、クラブの黄金期を支えたレジェンド指揮官のために団結した。MF山田は「名波さんが責任感をもって、矢面に立ってくれた。名波さんへの思いのある選手も多くて、ベンチから外れた選手もよくやってくれた」。指揮官も「試合前の午前8時半にベンチ外の選手が自発的にボールを蹴っている姿を見て、このチームが負けるわけがない」と胸を張った。

 来季、6季目の指揮を執るかは不透明。1日のJ1最終節・川崎戦で後半ロスタイムに失点し敗れた(1●2)。勝ち点41で5チームが並び、得失点差マイナス13が響いてPO圏内の16位へ転落。「負けたら辞めるつもりだった。POを戦うに至った責任は僕にある。少し時間が欲しい」と進退を保留した。クラブはすでに続投を要請。しばしの休養の末、結論を出す。(山田 豊)

 ◆名波 浩(ななみ・ひろし)1972年11月28日、静岡・藤枝市生まれ。46歳。清水商―順大を経て95年に磐田入団。99年にイタリア1部ベネチアへ移籍。2000年に磐田へ復帰後はC大阪、東京Vでプレー。08年に磐田で引退した。J通算331試合出場34得点。日本代表では98年フランスW杯など国際Aマッチ67試合出場9得点。14年9月に当時J2の磐田監督に就任。15年にJ1昇格へ導いた。177センチ。家族は妻と1男3女。

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