【名古屋】楢崎正剛、川口能活氏と同時に引退「最高のサッカー人生」日本の守護神42歳の決断
名古屋は8日、元日本代表GK楢崎正剛(42)が現役引退すると発表した。1995年に横浜フリューゲルス(F)に入団し、99年に名古屋に加入。2010年にGKでは史上初となるMVPに輝き、クラブ初のリーグ制覇に貢献した。J1歴代1位の631試合出場を誇る守護神は、代表でしのぎを削った盟友のGK川口能活氏(43)、MF小笠原満男氏(39)、DF中沢佑二(40)に続き、ピッチを去る。引退会見は11日に名古屋市内で行われる。
また1人、レジェンドがピッチを去る。楢崎はクラブを通じてコメントを発表。「横浜での4年、名古屋での20年。良いことも悪いことも全てが夢のような経験、最高のサッカー人生で後悔はありません」と、24年間のプロ生活にピリオドを打った。
95年に横浜Fへ入団。高卒ながら安定感のあるセービングを武器に定位置をつかむと、2年目にはベストイレブンに選出された。横浜Fが優勝した99年元日の天皇杯限りで消滅すると、名古屋に移籍。2000年からは14年連続で主将を務めるなど、ピッチ内外でチームの中心となり、10年にはGKで史上初となるリーグMVPに輝き、初優勝に貢献した。
日本代表でも国際Aマッチ77試合に出場するなど、W杯には98年フランス大会から4大会連続選出。特に川口氏とは10年以上、正守護神の座を競い合った。積極果敢に飛び出す川口氏は「動」、冷静に相手を見極め構える楢崎は「静」と例えられ、ハイレベルなGK争いを展開。日本のGKのレベルを飛躍的に向上させた。
プロ24年目の昨季は、オーストラリア代表GKランゲラックの加入などにより出場機会を失い、公式戦の出場はゼロ。リーグ戦は全34試合でメンバー外だった。このオフには豊富な経験を高く評価した神戸(J1)、長崎、京都(J2)、故郷の奈良クラブ(JFL)などが獲得に乗り出したが、移籍は実現しなかった。楢崎の引退により、99年に消滅した横浜Fに在籍経験がある選手は、G大阪の元日本代表MF遠藤保仁(38)だけとなった。
昨年12月2日に行われた川口氏の引退セレモニーにはサプライズで登場。「僕の分も(現役を)続けてください」と声をかけられたが、くしくも盟友と同時期にユニホームを脱ぐことになった。「これからはプレーヤーとしてではなく、違った形でクラブや日本のサッカーの発展のために力を尽くせていけたら」。ゴール前に立ちはだかる姿は見られないが、誰よりもJの舞台を知る男が新たな道に進む。
◆楢崎正剛の歩み
▼1976年4月15日 徳島県生まれ。奈良・香芝市で育ち、小学4年でサッカーを始める
▼94年 奈良育英高3年時に高校選手権4強
▼95年 横浜Fに入団し8月16日の平塚戦でJデビュー
▼98年 2月15日のオーストラリア戦で代表デビュー。6月のフランスW杯のメンバー入り(出場なし)。経営難から同年限りで横浜Fの消滅が決定。最後の大会となった天皇杯で優勝を飾る
▼99年 名古屋へ移籍
▼2000年 シドニー五輪にオーバーエージでメンバー入り。全4試合に出場
▼02年 日韓W杯に正GKとして全4試合に出場。日本初の決勝トーナメント進出に貢献
▼06年 ドイツW杯のメンバー入りも出場はなし
▼09年 7月25日の浦和戦でJリーグ史上初となる通算100完封を達成
▼10年 4大会連続となる南アフリカW杯のメンバー入り。だが直前でGK川島永嗣に正守護神の座を奪われ出場はなし。9月7日のグアテマラ戦に先発フル出場。この試合を最後に代表引退を表明。同年にJ1初優勝し、GKとしては初めてリーグMVPを受賞
▼13年 5月6日の仙台戦でJ1最多の512試合出場を記録
▼15年 10月3日の柏戦で600試合出場を達成
▼16年 リーグ16位に終わり、クラブ史上初のJ2降格
▼17年 リーグでは正GKとして29試合に出場もJ1昇格プレーオフでは出場はなし
▼18年 オーストラリア代表GKランゲラックの加入により、プロ入り後初の公式戦出場なし
◆楢崎 正剛(ならざき・せいごう)1976年4月15日、徳島県生まれ。42歳。奈良・香芝市で育ち、奈良育英高から95年に横浜フリューゲルスに入団。チーム消滅に伴い99年に名古屋へ移籍。2010年にリーグ優勝へ導きMVPを獲得。Jリーグ・ベストイレブン6回。日本代表は98年2月にデビューし、同年のフランスW杯から4大会連続選出。国際Aマッチ77試合出場。J1通算631試合、J2通算29試合。187センチ、80キロ。