山口蛍、欧州挑戦も半年でリタイア 初めての挫折から立ち直った言葉とは…

2018年6月13日10時0分  スポーツ報知
  • パラグアイ戦でキャプテンマークを巻きプレーする山口

 ロシアW杯に挑む日本代表選手の転換点を紹介する連載「ターニングポイント」。最終回はMF山口蛍(27)=C大阪=の物語を紹介する。2015年に憧れの欧州に挑戦もわずか半年でリタイア。そこからより強くなった思いがあった。

 「何のために欧州へ行った?」「ホームシック」「弱虫」…チームのSNS上に並んだ心ない言葉を見て、悔しさが募った。15年12月、複数年契約でドイツ・ハノーバーに完全移籍。幼い頃から父・憲一さん(51)や兄・岬さん(29)と共に、よくテレビで観戦していたこともあり、欧州サッカーには強い憧れがあった。「できるだけ早く試合に出てチームを助けたい」と意気揚々と新天地に飛び込んだが、けがもありわずか半年で出戻り。期待を込めて送り出したサポーターには裏切りと受け止められた。

 順風満帆なサッカー人生だった。小学3年で始めた時からセンスはずば抜けており、所属していた「箕曲(みのわ)ウエストSC(現箕曲SC)」の藤本善之コーチ(53)は「周りと比べてもがっちりしていてスピードがあった。ちょっと違った」。中学生になると、C大阪の下部組織に合格し、14年のブラジルW杯で代表に選出。18年ロシアW杯を担う主力となった。

 そこで味わった初めての挫折。志半ばで帰国した息子に、憲一さんは「プレーで返していくしかないんじゃない?」と声をかけた。批判も、応援も、全てに応えるには、結果を残すほかない。「プレーで引っ張っていく」。元々口数が多いタイプではない山口がよく口にする言葉だ。ドイツへの挑戦と挫折を経て、思いはさらに強くなった。

 わずか6試合で無得点に終わった半年間だったが「自分で決めて自分でやっていく。ドイツに行く前後ぐらいから自立し始めてきていたんじゃないですかね。しんどい思いもしたとは思いますが代表でプレーできているので、成長の糧にはなっていると思います」と憲一さん。帰国する際も全てが決まった後で連絡があったという。自分の力で人生を切り開く―。経験は血となり肉となり、サムライとして戦う現在の山口を支えている。(筒井 琴美)

 ◆山口 蛍(やまぐち・ほたる)1990年10月6日、三重・名張市生まれ。27歳。小学3年でサッカーを始め、03年にC大阪の下部組織に入団。09年にトップチーム昇格。12年ロンドン五輪代表、14年ブラジルW杯でも全試合に出場。15年12月にドイツ1部ハノーバーに移籍するも、翌年6月にC大阪に復帰。日本代表41試合出場2得点。J1通算148試合12得点。利き足は右。173センチ、72キロ。独身。

日本代表
今日のスポーツ報知(東京版)