“東洋の魔女”から後輩たちにエール「新しい体育館で新しい歴史を作ってもらいたい」

2018年3月27日11時0分  スポーツ報知
  • 64年東京五輪、駒沢屋内球技場のセンターポールに日の丸が掲げられた
  • 駒沢屋内球技場の前で当時を懐かしむ千葉勝美さん

 64年東京五輪バレーボール女子で、日本は駒沢屋内球技場のメインポールに日の丸を掲げた。「東洋の魔女」と呼ばれた全日本で控えセッターだった千葉(旧姓・松村)勝美さん(74)は、主将として出場した72年ミュンヘン大会で銀メダルを獲得。20年大会のバレー会場は有明アリーナが新設されるが「メダルを取って、新しい歴史を作ってもらいたい」とエールを送った。

 昨年7月に改修が終わった東京・世田谷区の駒沢球技場の前で、千葉さんは「体育館の周辺で世界各国の国旗が、はためいていたのを今でも覚えてます」と懐かしそうに振り返った。

 64年10月23日。日本中が日本―ソ連の決勝を見た。テレビ視聴率は驚異の66・8%をマーク。宿敵・ソ連を破り、日本が初代女王の座に就いた。表彰式での故・中村(旧姓・河西)昌枝主将の姿が目に焼き付いている。「表彰台に上がった河西さんが、金メダルを掲げたんです。その時に、私もああいうようにやりたいと思ったんです」。その舞台となったのが駒沢屋内だった。

 金メダルを手にしたとはいえ、河西さんの控えだった千葉さんは「4年後は自らの力で金メダル」と誓う。だが、それからが苦難の連続だった。約2年後の66年8月6日、失意のどん底に突き落とされる。東京五輪代表10人を抱え、59年11月から連勝を続けていた所属のニチボー貝塚がヤシカに敗れ、連勝は258でストップ。舞台は皮肉にも駒沢屋内だった。

 東京五輪後に主力が引退し、この敗戦でさらに選手がチームを去り、千葉さんも揺れた。だが、当時の代表監督で高校時代に指導を受けた小島孝治氏が説得。68年メキシコ市五輪はチームの不振の影響で落選し、70年の世界選手権(ブルガリア)も銀メダル。再び「考えさせてほしい、と実家に帰った」という千葉さんを、小島監督は「29歳までには、必ず結婚させます」と千葉さんの両親と約束して協力を取り付け、再びコートに戻らせた。

 そして迎えた72年ミュンヘン五輪の決勝。パレスチナ武装組織が選手村でイスラエル選手団11人を殺害する事件で決勝が1日延期に。体調を崩す選手が出たほか、選手起用ミスもあり、フルセットの末に敗戦。当時はソ連との2強時代で準優勝は敗北と見なされ、千葉さんは試合後「こんな銀メダルいらない」と言ってしまった。

 だが、空港に迎えに来た母・久江さんは「何で、いらないなんて言ったの。銀も銅も取れない人もいるんだよ。入賞して喜んでいる人もいるよ。その過程を考えたことある? 立派な銀メダルだよ」と諭した。「その話を聞いて、はっとしました。東京の金に代え難い銀だと思いました」

 何ものにも代え難い銀メダルをつかむ始まりとなった駒沢屋内は、改修を経ながら主要な大会が行われてきた。20年東京五輪でバレーボールは、新設の有明アリーナで行われる。「新しい体育館でメダルを取ってもらって、駒沢で子供たちに夢を与えたように、新しい歴史を作ってもらいたい」と後輩に期待を込めた。(久浦 真一)

 〇…千葉さんは、小島監督の“約束”通り、29歳で結婚した。ミュンヘン五輪直後の国体に出場した際、お見合いが設定されていた。お相手は千葉仁(まさし)さん(故人)で、剣道全日本選手権を3度制した警視庁の警察官だった。「(73年)3月に私が30歳になるので、“急ごう”ということで、2月に結婚しました。デートも何もなかったですね」と千葉さんは笑った。

 ◆駒沢屋内球技場 東京・世田谷区の駒沢オリンピック公園内にある体育館。64年東京五輪に合わせ、都が整備し、五輪ではバレーボールが行われた。老朽化により、隣接する球技場(屋外)とともに14年5月に改修が始まり、昨年7月に終了。収容人数は2358(仮設800席を含む)。同公園の他の施設では、64年大会ではレスリング、サッカー、ホッケーが行われたが、20年大会では競技は実施されず、練習会場として活用するなどの案がある。

 ◆千葉 勝美(ちば・かつみ)旧姓・松村。1944年3月8日、大阪府出身。74歳。四天王寺高から日紡貝塚(のちにニチボー貝塚―ユニチカ貝塚)入り。世界選手権では、62年、67年大会でともに金メダル。72年、現役を引退。173センチ。

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