上野、7戦555球力尽く…世界選手権決勝、米に延長サヨナラ負け
◆ソフトボール女子世界選手権 最終日 ▽決勝 日本6―7x米国=延長10回=(12日、ZOZOマリンスタジアム)
日本は米国にタイブレークの延長10回、6―7でサヨナラ負けを喫し、優勝を逃し、2大会連続の銀メダルに終わった。同日の敗者復活を兼ねた3位決定戦でカナダを3―0で破り、決勝に進出。エースの上野由岐子(36)=ビックカメラ高崎=が2試合連続で先発して合計4時間50分、計249球を1人で投げ切ったが、米国の強力打線に屈し、10回は2点差を逆転された。20年東京五輪の最後の前哨戦を制することができなかった。連覇した米国は20年東京の出場枠を獲得。
タイブレーク 最後の最後で米国の世界最強打線に打ち砕かれた。6―4で迎えた延長10回、同点に追いつかれ、なおも2死二、三塁のピンチ。米国の9番・スチュワートに三塁線を抜ける安打を許した。3時間40分の気迫の投球数は162球。逆転サヨナラの死闘に決着がつくと、上野は無念の顔で天を仰いだ。「みんなが取った6点を守りきれなかった。申し訳ない」。精も根も尽き果てたように肩を落とした。
次世代の台頭がテーマだった今大会。宇津木麗華監督に「最後に一番勝ちたいゲーム。上野で勝負する」と託された。決勝戦の3時間半前はカナダ戦で87球を完封。気温29度、湿度78%の蒸し暑いマウンドで1時間40分、腕を振り続けた。前回大会は左ひざの故障で不出場。世界大会は実に4年ぶりのブランクがあったが、今大会は7試合に登板して、球数は555球に達した。疲労の色が隠せない中、110キロ台の直球と多彩な変化球を駆使して再三のピンチを乗り切ったが、それでも「6点を取った後に7点を取られて、自分が投げていて年を取った感じがする」と悔しがった。
北京五輪後の激動の10年を乗り越え挑んだ。05年に五輪競技からの除外が決まると、北京五輪後から10年11月の広州アジア大会で復帰するまで日の丸を辞退。「もうやりきった感が出ていた」と燃え尽きかけた。16年5月に200勝まであと1勝に迫ったが左ひざを故障。その年の世界選手権に出場できず、米国に3連覇を阻止された。「もう投げられないかも」と引退も考えたが、ソフトの五輪復帰が決まり、消えかけた炎が燃え上がった。
世界最速121キロを誇った剛腕フォームを改造し“東京五輪魔球”の開発にも着手。20年7月24日の東京五輪開会式に先立って行われる同22日の開幕戦で38歳の誕生日を迎え、もはや「運命的」と感じている。
ブルペンでは若手の3倍の500~600球を投げるタフネスに指揮官も「上野は健在だった。文句のつけようがない」と脱帽した。東京五輪まで残り2年を切ったタイミングで、エースが存在感を示した一方で、宿敵米国に通用する選手育成という課題も浮き彫りに。雪辱の舞台は2年後へ。エースは「五輪が次の勝負になる。今回は勝てなかったが、五輪でリベンジできればいい」と瞳に闘志を宿した。(小河原 俊哉)
◆上野の413球 08年北京五輪の準決勝の米国戦、3位決定戦のオーストラリア戦の先発マウンドを託されたエース右腕は、ともに延長を戦って計21回318球の連投。激闘から一夜明けた決勝で再戦した宿敵・米国戦にも先発し、魂の95球で7回1失点完投した。2日間で計413球を投げ抜き、悲願の金メダルを日本にもたらした。