石川祐希「巨人・鍬原に負けていられない」同じ中大法学部卒

スポーツ報知
石川祐希

 バレーボールの石川祐希(22)が東京五輪への思いをコラムにつづった。

 今年3月に中大を卒業し、バレーボールのプロになることを決めました。小さいときは自分がプロになるとは全く思い描いていませんでしたね。小学生のときなんて、コーチに怒られて毎日泣いてましたから(笑い)。高校でも大学でも、将来はVリーグで活躍するイメージしかなかったんです。でも、中大1年生でイタリア1部のモデナに所属した時、全く試合に出られなくて『世界と戦うには自分の技じゃまだ足りない』と痛感して。同時に『もっと自分を高められる』『世界のトップを目指したい』って気持ちが強くなったんです。トップチームでスタメンを取って優勝する。その夢を実現したいと思い、プロの道に進むことを決意しました。今は将来の楽しみしかないです。

 先にプロの世界に入った17年の巨人ドラフト1位・鍬原拓也(22)の頑張りも励みになっています。同じ中大法学部で、よく一緒に授業を受けていました。鍬原がプロ1勝を挙げたとき、テレビやネットのニュースを見て、素直にすごいなと。7月には東京ドームのネット裏で広島との試合を観戦して、鍬原と再会しました。数分だけだったんで「久しぶり。頑張れよ!」ってあっさりした感じで終わってしまいましたけど、プロ野球選手になった鍬原に会えて「自分も負けていられない」って気持ちが湧き上がってきました。

 5~7月は、昨年痛めた膝や腰のリハビリに費やしました。全日本男子は国際大会に出場していましたが、大きな焦りはなく、逆に十分なリハビリ期間をもらえたことに感謝しています。膝回りやお尻を鍛え直したことで、崩れた体のバランスを見直すことができました。自分の目指す姿に間違いなく近づいたと感じます。7月28日の日韓戦が久しぶりの実戦でしたが、全く痛みがない状態は何年ぶりだろうっていうくらい仕上がりは順調です。このまま成長し続けられたら2年後、チームに貢献できるんじゃないかと、今は自分への期待が膨らみます。

 ◆石川 祐希(いしかわ・ゆうき)1995年12月11日、愛知県岡崎市生まれ。22歳。姉の影響で小4から競技を始める。愛知・星城高に進学し、12、13年と2年連続3冠を達成。14年に中大に入学。16年にはイタリア1部のラティーナでプレー。18年大学卒業と同時にプロに。18年6月にはイタリア1部のシエナと契約した。家族は両親と姉、妹。191センチ。

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