松下浩二チェアマン「毎日が世界選手権」…Tリーグ開幕まで、あと1か月

スポーツ報知
インタビューに答える松下チェアマン

 卓球の新リーグ「Tリーグ」は10月24日に男子、25日に女子が東京・両国国技館で開幕する。Tリーグの松下浩二チェアマン(51)が気になる「10の質問」に回答。「毎日が世界選手権。必ず満足いくものをお披露目したい」と語った。(聞き手・林 直史)

 松下チェアマンは「世界一のリーグ」を夢に描き、Tリーグの発足に尽力してきた。ただ、ここまでは公式な情報発信の機会が限られ、不透明な部分も多い。開幕を1か月後に控え、気になる疑問をぶつけた。

 男女8チームとも陣容が固まりつつある。選手の参加状況への評価は。

 「韓国、台湾、香港の世界ランク1ケタの選手が参加してくれます。例えば男子のT.T彩たまにいる鄭栄植(韓国)は今年の世界選手権で水谷と張本に勝って日本に勝利した原動力。そういった強い選手が入っています。いろんな国のトップの選手が試合をしているので、Tリーグは毎日が世界選手権なんですよね」

 予算規模や選手の参加状況を踏まえ、プロリーグが盛んな欧州などと比較しての位置付けは。

 「今のところ世界50位以内のうち男子も女子も15人程度を入り込ませることができている。世界一のリーグと言われるドイツのブンデスリーガを超える人数です。層が厚く、男子は欧州チャンピオンズリーグに出たら4チームとも優勝に絡むぐらいのレベルだと思います。予算規模も2~3億円。ドイツの(名門)デュッセルドルフと同じか、もしかしたら多いかもしれない」

 シングルスではなく、団体戦形式でのリーグ戦を採用した意図は。

 「一過性の興行にとどまるのではなく、日本の卓球が長期的に高いレベルを保つため。トップ選手でも、練習場やコーチがいなかったりと問題を抱えている。チームになれば監督もコーチもいて、練習場などの環境を整えることができる。ホームタウンを持つことで街の活性化や社会に対しても貢献できると思います」

 団体戦は4試合で構成され、2勝2敗となった場合はビクトリーマッチと呼ばれる1ゲーム(11ポイント)マッチを行う特別ルールを採用した。

 「1ゲーム勝負であればサプライズが起きやすい。どちらが勝つか分からない面白さの提供と、テレビ中継を考えた時に最大でも2時間半で終わるレギュレーションを考えました」

 世界最強を誇る中国選手の参戦の可能性は。

 「五輪でメダルを取っているような超トップの選手にアプローチはかけています。可能性もあると思いますね。選手登録は来年1月末までできるので、開幕した後でもすごい選手が来る可能性はあります」

 通常の試合でも1000~1万8000円。全日本選手権(18年は500~2900円)などと比べ高額となった。

 「演出などプロとしての興行をしないといけないので、設定させていただいている金額でないと運営が難しい。JリーグやBリーグさんとは同じぐらいですが、確かに今までの卓球の大会よりも高い価格設定にはなっています。だからこそ、強い選手を呼んで普段では見られないものを提供していく。それだけのものをお返ししていきたいと思っています」

 男子が水、女子が木曜日に開幕する。週末を選ばなかった理由は。

 「卓球も土日はすごく(お客さんが)入っていただけている。プロ野球や他の競技と同じようにコンテンツがしっかりしていれば、平日でも問題ないと考えています。あとは両国国技館という場所を優先させました。いつかは卓球を国技と呼ばれるスポーツにしたい。その思いもあって国技館でスタートします」

 テレビ中継やネット配信など、会場以外で試合を観戦する方法は。

 「今のスポーツではネット中継はやっていかないといけないところ。課金か無料なのか、どういう形になるかは分からないですが、全試合何らかの形で放送はしたいなと動いています」

 現時点で考えていることは。

 「どうやったらお客さまが満足してくれるかがファンサービスだと思います。もちろん選手たちにいい試合をしてもらうこと。あとは音と光を使って、今までにないような演出を提供していく。開幕戦に限らず、演出には力を入れていきたいですね」

 今後の展開は。

 「ゼロベースで1年半でリーグを立ち上げないといけなかった。契約しなければ、固まらなければ情報発信できない。どうしても材料が間に合ってないところがあった。ここにきて、いろんなことが決まってきたので、逆にどんどん発信していきたいと考えています」

 厳しい質問にも丁寧に応じた松下チェアマン。10月24、25日の開幕戦に向け「必ず満足いくものをお披露目したい。一生に一度の試合ですので、ぜひ両国国技館に足を運んで楽しんでほしいと思います」と呼びかけた。

 ◆松下 浩二(まつした・こうじ)1967年8月28日、愛知・豊橋市生まれ。51歳。小学3年で卓球を始め、愛知・桜丘高、明大を経て協和発酵キリンに入社し、92年バルセロナ五輪に出場。93年に日産自動車へ移籍して日本初のプロ選手となった。97年には世界選手権男子ダブルスで銅メダルを獲得。日本人として初めてドイツ・ブンデスリーガに参戦した。五輪は2004年アテネ大会まで4度出場。09年1月に引退。18年7月にTリーグのチェアマンに就任した。

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